2012年05月15日

高裁の判決

ご報告しなければと思いつつ書けませんでした。

12月にやっと公判が行われ、証人尋問にも立ち、意見陳述もしました。
高裁の焦点は、被告に真摯な謝罪が認められるかどうか。
被告側は、『裁判2日前』になって『自分の保釈に使った金200万』を謝罪のために払うと申し出、一週間に一度の献花を事故現場にしているという。
それが一審では『真摯に謝罪しており、実刑に処すには忍びない』と執行猶予になりました。
でも、自分の保釈に使った金を?
しかも、裁判の直前に?
私がそのことを知ったのは、裁判前日の午後です。
ものすごくショックだった・・・
金銭の申し出だけで気分が悪いのに、直前だなんて裁判での減刑を狙っているとしか思われず、ひき殺した夫に申し訳ないなんてかけらも思ってないってことです。
それに、村田千香子裁判長が「飲酒運転するとどういうことを引き起こしますか?」と聞いた時、被告は「自分の家族に迷惑をかける」と一言だけ言ったのです。
人の命を奪ったことも、その遺族の人生を生き地獄にしたのも、全く考えてはいない。
それが真摯な謝罪?
実刑にするのが忍びない
私は、国語辞典で『忍びない』という言葉を調べました。
『我慢できない。耐えられない』とありました。
わたしは裁判中、「裁判は感情を話す場ではない」と司法関係者から言われ続けてきましたが、忍びないとは感情なのではないですか?
それとも、市井の一国民には計りかねる法律的意味合いでもあるのでしょうか?
日本の刑法は被告有利が基本精神です。
被害者は存在しない。
遺族も存在しない。
存在しないものが感情を持ってはいけない。
被告が事故を悲しんだり反省したりするポーズをとるのは大いに結構。
情状酌量されます。
そんなクズのような日本の司法に「お前はクズだ!!」と叫びたかった。
「被害者も遺族もいて、毎日生き地獄であがいているんだぞ!!」と叫びたかった。
「その生き地獄を作り出したのは、被告自身だぞ!!車が引いたんじゃないんだ!」と叫びたかった。

(書いていて、ものすごくつらい。
書ききれるかどうかわかりません。
書く前に抗うつ薬は飲みましたが、ぜんぜん効いていない感じです。)

もちろん、司法関係者すべてがクズだとは言いません。
熊谷地方検察の渡邉検事には、言葉にできないほど感謝しています。
高裁の検事から伺いましたが、控訴するには弱かったものの、一枚一枚手書きの嘆願書、4000枚の署名、そして、渡邉検事がものすごく憤ってくださったことが控訴決定の決め手になったのだそうです。
人を動かすのは人だと思いました。

さらに憤りを感じたのは、執行猶予になった途端、謝罪文を送ることも200万の誓約書もぱったり来なくなったのに、控訴が決まった途端、またあからさまに送りつけてきたことです。
自分本位。
人の痛みなど全く考えられないのでしょう。
9月には現場の草刈りにも行ったんだそうです。
わたしが6月に献花に行ったとき、現場は雑草だらけで、献花はしたのかもしれませんが、真っ黒に腐った花の残骸がそこらに投げ捨ててあり、ひどい状態でした。
前日にラン仲間さんが追悼ランに訪れてくれた時は、もっとひどいごみ溜めだったそうです。
高裁ではそこも争点になりました。

証人尋問に立った時、6月の状態を話しました。
被告人弁護士が、「雑草の種類はなんでしたか?あなたが草刈した面積は何平米でしたか?」と聞くので、「そんなことが事故と一体何の関係があるのですか?」と突き放しました。
「私の質問には、はい・いいえで答えてくれないと困ります」などと言うので、こいつはバカなのだと思いました。
裁判長に「何を聞きたいのか趣旨がつかめません」と言ったところ、「弁護人はちゃんと質問をするように」と苦笑されていました。
弁護士は金で雇われて依頼人の便宜を図るのが仕事。
とはいえ、やはり人間性に優劣はあると思います。

高裁はたぶん1回では終わらないと聞いていましたし、意見陳述もほとんど認められないと聞いていたので、準備をしていなかったのですが、結局、その日のうちに結審してしまいました。
裁判長が「では、これで・・・」というのを聞いて、検事があわてて「被害者遺族の意見陳述を」というとあっさり認めてもらいました。
何を話したか覚えていません。
でも、「一審の裁判を見て『こんなものが裁判なのか』と思いました」と言ったことだけは覚えています。
その時、裁判長が一瞬ひるんだようでした。

法廷から出てきたとき、通路で大勢の傍聴人の方たちが待っていてくれました。
みんな、静かに私を見守ってくださいました。
その瞬間、ああ、私は勝ったのだなと思いました。
何に勝ったのかわからない、でも、投げることなくやり遂げた、応援してくださる方たちがいた、亡くなった者が帰ってくるわけではない最初から虚しい戦いだったけれど、ゼロではなかったのだと・・・

判決は1月末。
結果は、原判決破棄、実刑二年でした。
熊谷の裁判と違って、とても長い判決文でした。

それでもたったの二年です。
これが、今の刑法で市井の一国民、社会経験も大してない私に合法的にできる精一杯のところです。
被告は今、千葉県の刑務所に服役中です。
電車に乗ればすぐです。
面会はできるのでしょうか?
面会して何か言うことが・・・?
死人に何を言っても無駄でしょう。
自分で考えることのできない人間は生きているとは言えない。
息はしていてもただの歩く死人です。

結果報告とお礼が大変遅くなってしまいました。
応援してくださった皆様。
署名してくださった皆様。
嘆願書を書いてくださった皆様。
傍聴に来てくださった皆様。
本当にありがとうございました。

なんとか最後まで書ききることができました。
判決の夜、夫のアドレスにメールを送りました。
すぐに「アドレスが見当たりません」と返信が来ました。
posted by とんべり at 16:03| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月10日

嘆願書ありがとうございました

昨日、弁護士さんから、事務所に届いた嘆願書のコピーが送られてきました。
我が家のFAXがちゃちで受信できなかったものや、弁護士事務所だけに送っていただいたものがあったので、やっとすべてを拝読することができました。

ある方は冷静に、またある方は情熱的に、けれど皆、一様に今回の判決に憤ってくださり、本当に嬉しかったです。
私自身、そうとう頭に血の上った抗議文を書いたのですが、立場上よろしくないと言うことで、弁護士さんにざっくりカットされました。
それでも、全文カット→書き直しかと思っていたのに、裁判官への抗議の部分は残してもらえました。
まあ、嘆願するわけですから、検察批判はよろしくないでしょう。
なので、皆様の嘆願書が嬉しかったです・・・

『謝罪』とか『真摯な反省』って、法曹界と一般社会では、まったく別のものを指すんですね。
今回のことで、わたしはこう思いました。
飲酒運転常習者の皆さん。
酔っ払って人をひき殺しても、裁判で土下座して、直前に『200万円の慰謝料を払う誓約書』と書いた紙きれと「加害者の親の気持ちをわかれ」と書き連ねた手紙を被害者遺族に送りつけてうつ病を悪化させ、「毎週、事故現場に花を供えています」と書くだけ書いた手紙をとりあえず裁判官に提出しておけばOK。
どんな謝罪をしたいのか聞かれたら「お墓に手を合わせる」「もう酒は飲まない」「ハンドルは握らない」と言っておけばOK。
飲酒運転はどんなことを引き起こしますかと聞かれたら「自分の家族に迷惑をかける」と言っておけばOK。
それで真摯に反省して謝罪してることになりますから。
それだけやっておけば、熊谷の裁判所では、事実上、無罪になるようです。
酒を提供した店もお咎めなし。(ちなみに、店は群馬にあります)
店に代行を頼んだら、待たずに自車を転がしてラーメンを食べに行ってもOK。
同乗者も・・・さて、どうなるんでしょう?取調べだけは受けたようですが?
飲酒運転天国、熊谷で思い切り羽を伸ばしてください。
けれど、歩行者と走行者は気をつけてくださいね。
熊谷の道路は車専用。
歩いたり走ったりする方がいけないみたいです。

被害者参加して、右も左もわからない素人が重圧に押しつぶされそうになりながら、悲痛な思いをあれだけ必死になって訴えても、実刑3年執行猶予5年です。
もし何もしなかったら・・・?
実刑1年執行猶予1年?
無罪?
司法の場がそんな状態で『飲酒運転撲滅キャンペーン』だなんて、笑わせますよ。

今度は、高裁の検事さんと裁判官のお仕事ぶりを拝見しに行ってきます。
posted by とんべり at 13:27| 千葉 | Comment(2) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月06日

控訴決定!

検察が控訴を決め、本日付で起訴されました。
高裁で戦います!!


控訴はそんなに多くないと聞いていたので、もうほとんど諦めていました。
検察が3年6ヶ月の求刑をしたのも、4年の求刑だと執行猶予付きにするのに1年分の刑を削らなくてはならず(執行猶予が付くのは3年までの実刑)、かなり明確な酌量の理由がなくてはならないのに対し、6ヶ月ならなんとなく削りやすいので、検察は執行猶予の判定を裁判官に投げたのだと思っていました。
ですので、検察が積極的に動いてくれることはないだろうと・・・

今回のことでは、検事がだいぶ頑張ってくださったのではないかという話でした。
検事には、何かというと突っかかっていたので、申し訳なかったと思っています。
でも、他に訴える相手もいないし、被害者は検事にその気になっていただかないと何にもできないのが現状です。
日本の司法も捨てたもんじゃないですね。
ごみ溜め呼ばわりしてすみませんでした。
でも、今後の展開によっては、また暴れるかもしれませんよ。
グレたり、暴れたり、いいトシして何やってるんでしょう(笑)

とりあえず、道は閉ざされずにすみました。
この決定には、控訴の嘆願書に加え、4000筆の署名もプラスに働いたのではないかと思っています。

署名活動にご協力くださった皆様
傍聴に来てくださった皆様
嘆願書を送ってくださった皆様
ネットで抗議を表明してくださった皆様

皆様のご尽力の賜物です。
本当にありがとうございました。

まだまだこれからですが、気持ちを新たに、自分にできることをやっていこうと思っています。

今度は高裁かぁ・・・
はるかに来たものです。私は踊る主婦だったはずなのに。。。
あ、もちろん相変わらず踊ってます。
主婦なのも事実なんだけど、汚部屋化が進行中(汗)
posted by とんべり at 00:26| 千葉 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月02日

モラルと決断

うちの近所で、毎年、商店街のお祭がある。
そこで、警察が飲酒運転撲滅キャンペーンをやってたんだそうな。
飲酒したら視界がどうなるかという特殊カメラを被験者につけさせ、直線を歩かせると言うもの。
息子がチャレンジしたらしい。
大笑いしていた。
「教育する相手を間違えてるだろう。子どもにこんな眼鏡をつけさせて、実際に飲酒運転して人をひき殺せば無罪放免。くだらない欺瞞だよ。
警察だけじゃない。日本の司法全部が欺瞞だ。
危険運転致死傷罪なんて、ただの目晦ましだろ。ニュースダネになるような凶悪事件だけに適用しといて、『ほら、こんなに罰が重くなってますよ』というけれど、実際は飲酒し放題、ひき殺し放題じゃないか。」
ご節ごもっともです。

悪徳弁護士や加害者がおかしいのはしょうがないとして、検察や裁判官のモラルが低すぎるのが、なんとも腹立たしい。
すでに今では、轢いた加害者より裁判官の方を憎んでいるくらいだ。
被害者遺族の私の目には、なんでもかんでも加害者に有利になるように判断して、ムリにでも執行猶予にしたかったように見えてしょうがない。

息子「法曹界で働いてるやつなんか、所詮、どいつも一緒だろ。目の前の書類をさっさと片付けることしか考えてないんだよ。」
私「そんなことをして、自分のことを恥ずかしいと思わんのだろうか?仮にも、人の命の問題なのに・・・」
息子「神経が麻痺してるんじゃないの?」
私「そんなヤツが、そもそも、どうしてこんな仕事に就いたのかねー?」
息子「金じゃない?」
私「そんなに儲かるの?悪徳弁護士は儲かりそうだけど。」
息子「裁判官はけっこうもらってるらしい」
私「税金で食わせてもらってる身なのに、無責任で無能な仕事しかしないなんて、政治家並みにクズだな。」

まるで立場が逆。
私の方が思春期の青いガキのようである(笑)
だが、私はあくまで検察や裁判官といった職業には、高い倫理観を要求する。
例えお脳が回っても、しっかりした倫理観がなければ就いてはいけない仕事があると思う。
特に裁判官は、何のために黒い法衣を着てるんだと言いたい。
なんだかご大層な理由があるそうだが、中身が伴っていなければただの茶番だ。

もうひとつ、腹が立つことがある。
「組織なのでしょうがない」という言い訳を何度聞いたことだろう。
そりゃまあ、検察やら裁判所やらは個人運営じゃないので一存でなんともできないことは多々あると思う。
だが、最終的に人は自分の意見や立場を自分の意思で決めなければならないとわたしは思っている。
それができないんだったら、人間でいる意味がない。パソコンにでもなって、コマンド入力でもしてもらってください。
責任の所在をごまかしたい時、人はすぐ「組織が」という。
ダンナは、できうるかぎり組織の中でも1個の人間であろうとしていたと思う。
そのことで、割を食うこともあったようだが、私はそんなダンナを尊敬していた。
骨のあるヤツだと思っていた。

控訴にはならないだろう。
「組織が」とか「判例が」とか言い訳をたくさんしながら、みんなで責任を投げつけあい、結局は死人にすべてを押し付けるのである。

まあ、しょうがない。
いくら言っても心のない人間に感じさせることはできないし、頭のない人間に考えさせることもできない。
加害者も、その親も、悪徳ハゲも、冷血保身裁判官も、(ここに『検察』も入ることにならなければ良い)、みんなゴミみたいな奴らだ。
ゴミみたいに悪臭を放ちながら、勝手に生きていけばいいと思う。匂いが移りそうで、そばに寄りたくない。
もちろん、何かの拍子で控訴になったら、その時は日本の司法のことも多少見直して、私も再度頑張ろうと思う。

ダンナは輝いていた。
私の周りにはすばらしい人がたくさんいる。
長く生きたってゴミのような生活では意味がない。
人生は長短ではない。
それが分かったので、もういい。
(ついでに言うと、うちの父はダンナが死んだ時「早死にする者は結局は負け組みだ」と言ったのである。
友達のほとんどいない父は、大勢に惜しまれたダンナにやきもちを焼いたんだろう。
せいぜい長く生きて、勝ち組とやらになればいいと思う。
あれ以来、父とは口をきいていない。)

そう達観したようなことを言ってみても、どん底気分は変わらない。
台所で膝を抱えて丸くなっていたら、息子がやってきた。
「司法ってゴミ溜めだな。裁判参加なんかするんじゃなかったな。」と弱音を吐いてみる。
「当初、裁判参加すると決めた時、母は『もし、これを投げ出したら自分を許さないだろう』と言っていましたよね。少なくとも、母は責任を投げ出さなかったのでは?」
それはそうだ。こんなに背負い込んで、潰れかかっている。
「怒りの矛先に、自分は含まれていないんでしょう?」
確かに。
だが、結果を出せなかった自分には腹を立ててるけど。
「だったらいいじゃないですか。目的は達成したんですよ。」

こいつは勉強はしないが、時々本当にいいことを言う。
多感な時期に、こんなろくでもない目にあって、歪んでしまったらどうしようと心配しているが、きっと親父みたいな骨のある人間に育ってくれるだろう。
日和見で、筋の通っていないヤツは大嫌いだ。
自分の価値観を持たないヤツは軽蔑する。
この子には、そんな大人になってほしくない。

時々考える。
私がなるべく裁判と関わり合いにならなかった場合と、こうやって裁判参加してあがきまくっている場合とで、何か息子に違いはあったのだろうかと。

何かしらでも、良い方に違いがあってくれたらよいと思うのだ。
posted by とんべり at 07:00| 千葉 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月28日

執行猶予

判決はあまりにもひどい。ひどすぎる!
実刑3年6ヶ月の求刑だって低すぎるのに、実刑3年 執行猶予5年・・・

執行猶予?!!

まともな国民だったら誰だって毎日普通に送っている生活をたった5年やれば無罪放免。
すでに被告は晴れて自由の身。
事故前に遊んでいたおっぱいパブで酒を飲むことも可能なわけだ。

さらに腹が立つのが、裁判直前に送られてきた『200万円の慰謝料を払う誓約書』が情状酌量の元になっていることである。
通夜前に保険屋を名乗ってうちに上がりこみ、なんとか香典を押し付けようとした時、お金は受け取らないとあれほどはっきり言ったのに、こちらの気持ちを踏みにじる自己中心的な汚い行為が『謝罪』と『反省』と評価されたことには絶望を感じる。
たぶん、ぜったい受け取らないことが分かっていたから、断る時間を与えないようにぎりぎりに送りつけてきたんだと思う。
それでも、裁判前に受け取らない意思をはっきり相手に伝えて返しているし、公判の中でも拒否していることと、こちらの意に反して一方的に送りつけられることでどれだけ気持ちを傷つけられたか明言しているのに、裁判官が『謝罪』と評価したことには驚きと怒りを感じる。
加害者と被告弁護人と裁判官に『200万円の誓約書』と書かれた紙切れで頬を張られて、法の下に無理やり膝を折らされた気分だ。
たとえば強姦しといて『ごめんね、悪かった、これ慰謝料』と相手の顔に金を叩きつけたら、それって謝罪って普通思うわけなの?
私には『侮辱』だとしか思えない。
むこうの弁護士がこれまた悪質極まりなくて、「2日前に送られたという証拠が無い」と平気で言うんだから参った。
こんなマンガみたいな悪徳弁護士って本当に存在するんだと驚愕した。

昨日は荒れた。
荒れまくった。
加害者と悪徳弁護士と裁判官に、法廷で精神的に輪姦された気分。
ちょうど心療内科に行ったのだが、先生に欝が悪化してると訴えても「これ以上薬は出したくないからなんとか我慢しろ」と言われた。
弁護士さんや支援センター、叔父、叔母、父に、呪いとしかいえないメールを送りまくった。
いつも私の暴挙を静観する息子は「思い切り荒れてくれ。熊谷検察に『これは呪いの嘆願書です。今日中にこの嘆願書を7つの地方検察に送らないと、その検察は消滅します。』という呪い嘆願書を送れ」と言っていた。
彼も怒っているのだ。
この判決は、18歳というこれから日本を支えていく未来ある子どもに、日本の希望のなさと法の倫理的貧しさを突きつけたようなものだ。

友人が撮ってくれたダンスの写真を見るに、まだ3キロくらい痩せても問題なさそうなので、検察の前でハンガーストライキをするかとぼやく。
挙句の果てに、医者に止められてるのに薬と一緒に酒を飲み、意識朦朧状態。
2時間くらい気を失っていた。
目が覚めたらド真夜中。
自分の嘆願書が書けていない・・・
でも、こんな状態で書き出しても、出てくるのは呪詛の言葉ばかりだろう。
参った・・・
誰かこの地獄から救い出してくれ!と心の中で叫んだが、誰にも助けられないのは自分が一番良く知っている。
しかも、こんな時に公判資料のダンナの遺体写真をわざわざ見るんだから、極め付きのマゾ行為としか言い様がない。

そんな絶望と疲労と自虐の中でも、友人から送られる嘆願書のFAXの音が家に響く。
まだ、嘆願書を書くということが出来るなら書くしかない。
蹴られた4000人の署名と同じ運命だとしても、書かないわけには行かない。

他に一体、私に何ができる?
posted by とんべり at 15:01| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

嘆願書

叫び散らしたいことは山ほどあるのでこれから書くとして、とりあえず控訴の嘆願書の見本をのっけます。
一筆したためても良いという方、ぜひお願いいたします。
私の夫の命は、イカタコウイルス以下なんですよ。
実刑3年 執行猶予5年て、まともな国民だったら誰だって毎日ふつうにやってる生活をたった5年続ければ無罪放免。
見つからなければ、その間、飲酒運転だって出来ちゃうわけです。


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嘆願書


さいたま地方検察庁熊谷支部 御中

平成23年7月28日


住所                         

氏名                       印


私は被害者の妻の友人です。(被害者との関係や立場を明記)
平成23年7月25日『さいたま地方裁判所熊谷支部』で判決の出た、5月1日発生の酒気帯び運転による自動車運転過失致死事件についてですが、加害者が多量の飲酒をしていたにもかかわらず、代行車を待たず運転を強行したこと、事故前後の記憶が曖昧になるなど運転に支障が出ている状況であったことを考えると、加害者のとった行動はきわめて悪質であり、執行猶予付きの判決は量刑が適正ではないといわざるを得ません。
飲酒をした状態で運転をしてしまう、その甘えの行動の原因のひとつは、尊い人の命を奪っても結局は『執行猶予』がつく判決にあるのではないでしょうか?
飲酒をした状態で運転する行為は過失ではなく『故意』なのです。
故意によって引き起こされた事故で失われた命への償いが3年6ヶ月の実刑では重過ぎるのでしょうか?(求刑は3年6ヶ月)執行猶予を与える意味はなんですか?
飲酒運転に対する人々の認識も変わり罰は重くなっている現状にもかかわらず、今回下された判決には強い疑念と司法への不信を感じずにはいられません。
また、裁判の際の加害者の言動から察するに、被害者の無念や遺族の悲しみを本当に理解しているとは言いがたく、ここは実際に刑に服し、猛省を促すべきであると考えます。
このことに答えるべく、厳正な審理を再度行った上で、公正な判決が下される必要があると思われます。
以上のことから、検察官から控訴されることを切に求めるものであります。


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ものを書くのが上手な友人が多く、私の書くことが無くなりそうです(笑)
丸パクリではなく、ご自身の言葉でご自身の怒りのお気持ちを表していただければと思います。
大変お手数ですが、全文手書きでお願いいたします。

タイムリミットは、今週の日曜に変更になりました。月曜朝一で最終便のFAXを送るようです。


以下の法律事務所にFAXしてください。(犯罪被害者支援センターから紹介いただいたまっとうな弁護士さんです。悪徳ハゲとは人間が違うので、ご安心ください)

043-201-5732(藤岡・合間法律事務所)

posted by とんべり at 14:13| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月19日

公判当日 A

傍聴席は味方サポーターで一杯である。
そこに、例の土下座パフォーマンス親父と、母親が入ってきた。
母親がずっとしくしく泣いていて、煩わしい。
通夜前の大混乱のさなか、保険屋を連れてうちに上がりこんできた時もしくしく泣き声をあげていたが、香典を拒否した時に私をにらみつけたときの目は涙も出てないし、あまりといえばあまりな嘘泣きに、なんだかもううんざりしてしまった。
今日も相変わらず同じパターンかと、頭が痛くなる。

被告と弁護士が入ってきた。
ひたすら、被告をガン見する。
素人の私が法廷に入ったからといって、何か出来るわけではない。
だが、被告の真正面に座れば、その表情も手に取るようにわかる。
私の存在も、強く相手にアピールできる。
見ろ!こっちを見てみろ!と心の中で叫ぶ。
で、相手弁護士がどんなヤツかと目をやったら、唖然。
ハゲ、しかもロン毛・・・
それでデブ・・・
ビジュアル的にイケてないこと、はなはだしい。
なんかもう、見るからに「悪徳」っぽい。
キャバクラで女の子をひざに乗っけて、ゲハゲハとエロ笑いそうな雰囲気満載。
やることがえぐいし、「ぽい」んじゃなくて、悪徳弁護士なんだろうなと思う。
土下座親父に、嘘泣き母、悪徳デブ弁護士・・・
安っぽいドラマみたいだ。

裁判長が入ってきた。
「起立、礼、着席!」
こんなことをするのは高校以来である。
裁判長は、予想に反して、若い、きれいな女性であった。
聡明そうだが、人間コンピューターじゃなくて、血の通った心を持っていてくれればよいが・・・と願う。

裁判が始まり、検事が証拠番号をどんどん挙げていく。
そのうちの数点は、今日、私が持ってきた。
死んだ時、背負っていたザックに、これも身につけていた汗の浸みたランニングシャツを突っ込み、遺品の時計は私が腕にはめている。
ついでに形見の●●●●●なんちゃらもハイドロパックの底に突っ込んでおいた。
私にとっては弔い合戦である。死装束で何が悪い。
署名という血判状を鎧に結びつけ、ダンナの遺骨を抱いて、強大な国家権力の只中に単身切り込むつもりで臨んでいる。
国家なんかに勝つつもりは端からない。勝てるはずがない。
何をやっても結果は変わらない。
日本と言う国は変わらない。
ダンナは戻ってこない。
でも、私は弱気になろうとする自分に打ち勝ちたい。
何も変わらないからと諦めたくない。
一歩でもいいから前に進みたい!

その4000筆集めた署名だが、残念ながら被告弁護人に拒否されてしまったので証拠にはならなかった。
だが、私は自分の意見陳述の中で、署名の存在には触れるつもりだ。
ただし、陳述の途中でさえぎられる可能性がある。
証拠採用されなかったものについて、語っちゃいかんと言うことらしい。
さえぎられる前に、言うだけ言ってやる。
緊張で何も聞こえなかった振りをして、最後まで言ってしまおう。
こういうのは、言ったもん勝ちだ。

裁判の3日前。
署名の証拠採用が拒否された連絡を受けた。
覚悟はしていたが、「やっぱり・・・」という徒労感と極力してくださった方たちへの申し訳なさで弱気の虫に取り付かれた。
息子に「欝で半分頭のおかしくなったオバサンが、ダンナが戻ってくるわけでもないのに、なに痛いことしてるんだろうって思われてるよね・・・」と愚痴っていたら、「ここで母の心が折れたら、署名してくださった4000名の方に申し訳ないと思いませんか?」と言われた。
「母のことを痛いと思う人は、署名なんかしてくれません。少なくとも4000名の味方が後ろに控えているのですよ。私も痛いなんて思わない。それでは不足ですか?」
子どもだと思っていたら、けっこう言ってくれるのである。
「証拠採用されなかったら、あの署名は母にとって無価値だとでも?」と諭されてしまった。
あの署名・・・
検事の机の上にドンと置かれた時、検事が感銘を受けた様子で眺めていた。
4000筆集まったと話した時、弁護士さんが感動したといっていた。
あの署名の存在は、まぎれもない事実なのである。
証拠採用なんかクソくらえだ。
裁判の場で絶対言う。
少なくとも4000の人々が、この事故のことを憤っているのだということを言わずにはおかない。
               (続く)
posted by とんべり at 13:20| 千葉 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月17日

公判当日 @

公判当日。

ダンナの両親は、前日、長野から出てきて、熊谷のホテルに宿泊している。
親族一同、そのホテルに集合することになっているので、私も息子を連れてホテルに向かった。
が、そこで息子を放置して、ひとりスタバに逃げ込む。
こんなに神経がぴりぴりしているのに、親族からあれこれ言われるのが堪らない。
事実、数分居ただけで
「がんばって」
「冷静にね」
「落ち着いて」
「しっかりね」
と口々に言われ、萎えてしまった。
言いたい気持ちは分からなくないが、言われる身になってほしい。
誰より冷静になりたいのは私自身であるが、「なれ」と言われてなれるんだったら誰も苦労しない。

スタバでキッシュとコーヒーを無理やり口に詰め込む。
しゃりバテで脳の活動を停滞させるわけには行かない。
その後は、腕に爪を立てて、時間が来るのをじっと待った。
最悪の気分である。
心臓バクバク、息ゼーゼー
口から、胃袋を通り越して腸が出てきそうだ。
余分に持ってきた向精神薬を洗いざらい飲んでしまいたい衝動と必死に戦う。
そんなことしたら、裁判前に病院行きである。
やっと1時15分前になり、タクシーを捕まえて検察庁に向かった。
裁判は2時からなのだが、検事と弁護士と参加人の私は事前打ち合わせをする必要があるらしい(まあ、私はおまけみたいなものなのだが)

打ち合わせの最中、検事がめくっていた調書の中にダンナの全裸遺体写真があるのがちらりと見えた。
私も調書のコピーはもらっているのだが、写真は白黒だし、第一、ダンナの遺体写真が抜いてあった。遺族の心情を考慮してのことらしい。
だが、私は、跳ねられた時、ガードレールの反射板に叩きつけられて肋骨を何本も折ったというひどい傷を見たい。
葬式の時は、いつも傍らに誰かがいたので、見る機会を得られなかったのだ。
仕事とはいえ赤の他人が夫の全裸写真を見てるのに、妻の私が見ちゃいかんと言うことはないだろうと思ったが、司法のシステムは一般人には意味不明だ。拒否されるかもしれない。
実力行使することも考えた。
弁護士さんは痩せている。
検事は運動とは無縁そうだ。
どちらも大柄ではない。
隙をついて飛びかかったら調書を奪うことくらいできそうな感じだ。
だが、裁判前に騒ぎを起こして「暴力的素行が認められる」と入室できなくなったら困る。
むき出した爪をひっこめ、何気ない顔をつくろって座り続けた。
ダンナの父は打ち合わせに一緒に来る気だったようだが、必要ないから裁判の時間までホテルにいてくれとお願いした。
余計なものを見せなくて済んでよかった。

打ち合わせが終わって、またしても待機タイム。
弁護士さんに、友人の一人が予習のために他の裁判の傍聴に行ったはなしをする。
「裁判官によって、だいぶ評決に差があるようなことを言っていましたが・・・」と聞くと、「My Cortといって、裁判官にとって裁判は自分が絶対の場ですからね〜」と言う答え。
「裁判員制度が導入されて、変わりましたか?」と聞いたら「裁判員の入る法廷変わりました。」
う〜〜ん。
聞けば聞くほど、日本と言う国は希望のない国である。
息子が『逆転裁判』というゲームにはまっているのだが、私は日本の司法自体に大声で「異議あり!!!」と叫びたい。
まあ、だからこうしてこの場にいるわけなのだが・・・

「いったい、どんなパーソナリティーの人が裁判官になるんですか?」と以前から疑問に思っていたことを聞いてみた。
「司法試験に受かると養成所のようなところでいろいろな研修を受けて、その中で適性を見つけていくんですが、トップクラスで頭のいい人が裁判官にはなりますねー怖いくらい頭が切れますよ」
頭のいい弁護士にすら怖いと言われるような切れる脳みその持ち主。
人間にとって脳みその出来不出来は大事だが、時として非常にムダに脳みそだけ切れる人がいる。
はたして、裁判官たちの「心」はどうなんだろうと思った。

時間が来た。
ジャケットを羽織り、法廷へと向かう。
途中、トイレによって出てきたら、検事さんが「待った!」と慌てているので、視線の先を見やると、被告人サイドの面々に弁護士さんが2日前に送られてきた、人をバカにした謝罪文と200万の誓約書を返しているところであった。
あんな汚いことをするなんて、被告の弁護士もくずにちがいない。
被告の親父に見つかって、また反吐が出るような土下座パフォーマンスでもされたらかなわない。
ダッシュでエレベーターに逃げ込んだ。

法廷のある4階に着いてびっくり!
たくさんの見知った人たちがいた。
この短かったような、長かったような2ヶ月の間、ともに戦い励ましてくれた数々の友人だ。
弁護士さんが「傍聴券が必要かな」と心配していたが、どうにかみんな座ることが出来た。
「こんな大きな法廷が傍聴人で一杯になるなんて、よほどの大事件じゃないとないですよ。平日の、しかも熊谷なのになあ。すごいなあ。」としきりに感心している。
私と言えば、さっきまで、口から腸やらエクトプラズムやら、なんでもかんでも出てきそうな状態だったが、多くのサポーターに背中を押され、気持ちがすっと落ち着いた。

ゲートを越えて法廷内に入り椅子に座る。
傍聴席を見やると、目のあった人たちがうなづく。
よし、やろう。やってやる。
                 (続く)
posted by とんべり at 13:34| 千葉 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月08日

公判


IMGP5018.jpg

今日は裁判の日だ。

5月1日からずっと走り続けてきた私の、一応のゴールの日なのかもしれない。
が、このレースは最後の最後まで波乱含みだった。

昨日の午前中は、新しく幼稚園で始まった仕事の初日で、非常に緊張した。
何とか無事こなして帰宅してみると、弁護士さんからメールが入っていた。
被告人弁護士から、被告人とその母の謝罪文、保釈金が戻ってきたら(被告は保釈されている)その200万円を私に支払うと言う誓約書が届いていると言うのだ。

裁判の前日に?
一体何を考えているんだ?!!
即刻、全部叩き返してくれるよう、弁護士さんにはお願いしたが、相手のあまりの無神経さ、自分勝手さにショックを受け、またバッタリいってしまった・・・

通夜の前に人を騙すように家に上がりこんで、無理やり香典を受け取らせようとした時、あんなにきっぱり断ったのに、また、こんなことをしてくるなんて。
しかも、打診もしないでいきなり誓約書。
なりふり構わずこっちの手に金をねじ込んで、示談に持ち込もうとしているのが見え見えである。
しかし、なんで前日??

こんなヤツ相手にまともに裁判をしようとしている自分があほらしくなって、徒労感がいや増す。
息子が帰ってこなければ、そのまま転がり続けたかもしれない。
いつものように、息子の顔を見ればそこそこ元気になるのだが、バイオリンのレッスンに行ってしまった後にまた問題が発生した。
弁護士さんから電話が来て、時間配分がタイトだから、今から私の検事調書を削ると言うのである。
あれは私も長いと思っていたので、削ることには異論はないが、謝罪文事件で頭が働かない。
調書を開いて、電話越しに先生とやり取りしたが、果たしてあんな感じでよかったのかと欝がつのってきた。
ストレスで病状が悪化しているみたいだ。
さらに、今度は陳述文を可能な限り削ってくれと言う。
これには参ってしまった。
命を削るように書いた陳述文だし、朗読→録音→推敲を重ねてきたのに、今さら削れと言われて、さくっと削れるようなものじゃないのである。
義父に電話して、何とか削るより仕方ない、どうしようかと頭を悩ます。

前日はゆっくり準備しようと思って仕事も休みにしたのに、全然休めない。
欝でダウン状態だし、また陳述文で苦しめられるし、ひとつことを片付けても次から次へと問題ばかり起こる。
明日は本当にだいじょうぶなのか?
裁判所にたどり着けるのか?
ぐったりしていたら、友人からメールが来た。
「仕事が忙しいって言ってたRちゃんが、今日、モーレツに働いて、明日、休み取ったって!傍聴にもうひとり行くよ〜」
また別の友人から、「Oさんも行くことになりました。全員で4人、後ろから応援してるから。」
一日中、心臓バクバク、息ぜーぜーだったのだが、ありがたい友人のエールにやっと落ち着きを取り戻した。
弁護士さんからも、時間調整は先生と検事さんでするから陳述文はいじらなくて良いと言われ(だったら、最初からそう言ってくれ!!!こっちは素人だし、もう限界一杯一杯なんだから)、なんとかかんとか立て直した。

やり切るしかないのである。
今日のために、がんばってきた。
ゴール目指して、あと数歩。
ダンナを、胸を張って裁判に連れて行くのだ。


レース中はただ黙々と、誰でもいつかはゴールが来るんだ!
一歩でも前に進むんだ!
欝になったらジェイゾロフトだ!!


ダンナ、ここまでやって来たよ。

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posted by とんべり at 07:46| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月04日

署名活動のご報告とお礼

ご署名にご協力くださったすべての方へ…



今日、午前ギリギリまで粘り、最後の一枚までご署名をいただいてきました。

いただいたご署名、3930筆。

間に合わなかった分もありますので、4000筆を越えるかもしれません。

一月足らずの短い期間、裁判前で制約も多い中、当初の予想をはるかに上回る結果を上げることができ、ただただ驚くばかりです。



レース会場で署名集めに汗を流してしてくださった方もいました。

レース後の疲れ切った手にペンを握り、ご署名くださったランナーの方達もいました。

ご家族、お知合い、お友達にお声をかけてくださった方もいました。

仕事の合間に署名集めに奔走してくださった方もいました。

私のブログを見て、署名を集めて連絡くださった方もいました。

まだまだたくさんの方が、いろいろな形でご協力くださいました。

皆さまのご尽力をここであげきることは不可能です…

熱意が熱意を呼び、活動の輪が広がり、ここまでたどり着くことができたのだと思います。


本当にありがとうございました。


亡くなった夫のためにお時間を割いてご署名くださったお名前のひとつひとつが、故人への供養であり、私の励みとなっております。


今日、お寄せいただいた、飲酒運転事故に対する憤り、故人の死に対する無念の思いを検事に届けてまいりました。

検事には、署名活動に伴って皆さまからいただいたメールの抜粋(個人情報は伏せております)なども添えて渡したのですが、「一般の方の感覚はこういうものなのだということを改めて感じることができました。証拠採用されるよう努力します。」と言ってくれました。



私たちの気持ちが裁判官に届くことを願ってやみません…

posted by とんべり at 16:58| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月23日

モーレア・マラソン

ダンナがこだわっていたレースがいくつかある。

富士登山競争 フルの部完走
川の道 永久ゼッケン2桁台獲得
サロマ湖100キロ 10回完走(サロマンブルー)
東京マラソン コスプレ・ラン
モーレア・マラソン

そのほかにも夢はあったようだし、完走したことのあるどの大会でも自己ベストを伸ばしたいと思っていたようだったが、特にこの五つはしょっちゅう口にしていた。
結局、どれも実現せずに終わってしまったが・・・

中でも、モーレア・マラソンは『タヒチ走遊会』を名乗るからには絶対走らねばならない大会だと思っていたようだ。
なので、ラン仲間のパラ企の方が招待選手として走ってこられたときは、もううらやましくてしょうがなかったようである。
その時は、たぶんダンナが発起人になって、新宿のノニカフェで祝賀会のようなものをしたのではなかったかと思う。

その参加されたランナーさんから、先日、お写真が届いた。
「奥様がモーレア・マラソンに参加されると聞きまして、雰囲気などお伝えできるかと・・・」というような内容のお手紙が添えてあった。

モーレアは国際空港のあるタヒチ島のすぐとなりにある島で、タヒチ島が東京だとしたら、モーレア島は神奈川、千葉、埼玉のような通勤圏だと思っていただければよいだろうか。
(ぜんぜん違うだろう!という声が、タヒチを知る人から聞こえてきそうだが)
頂いたアルバムを開くと、そこに写っているのは紛れもないタヒチ!
しばし、心を南の島に遊ばせる・・・
が、ここでハタと現実に帰った。

つい勢いで、というか、ダンナの遣り残したレースのほとんどは私には後を継ぐことができないものばかりなのだが、マラソンだったらなんとかなるんじゃないかと思ったのである。
で、葬儀の席上で「タヒチ走遊会を背負ってモーレア走ります」と言ってしまったわけなのだが。
皆さん、聞いてたし、覚えてたんですね。

ダンスを始める前は、毎日10キロほど走ってたこともあるのだが、相手は40キロ超。
出たことのあるレースなんて、フロストバイトと千葉マリンマラソン(どちらもショートの部)のみ。
えらいことを言ってしまったものだ。
先日、リタさんと社長さんが自宅に寄ってくださったのだが、その時、社長さんがランを始めて1年でフルに出たと言う話を聞いた。
でも、練習量が半端じゃない。
月間200キロ走っていたそうだ。
しかも社長はお若いお嬢さんである。
こっちは衰える一方のオバサン。
モーレアへの道のりは長いと言わざるを得ない。。。

が、女に二言はない!
口にした以上は実行あるのみ。
なんとか走りきって、ダンナに黒蝶貝のメダルを持って帰ろう。

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↑Mさん、メダルのお写真載せさせていただきました
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2011年06月22日

北丹沢山岳耐久レース&OSJ志賀高原トレイルフェスティバル

7月3日に北丹沢12時間山岳耐久レースとOSJ志賀高原トレイルフェスティバルが開催されます。

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↑2008年 ダンナが出たときのレース

パラ企の方が飲酒運転撲滅キャンペーンを両会場でされるということで、私も北丹沢に行ってこようと思ってます。
昔、山ガールだったワタクシ、丹沢(主に表尾根ですが)には、よくひとりでフラフラしに行ってました。
南の島好き&タヒチアンダンサー(笑)になってからは、すっかりごぶさたしてます。
久々の丹沢、懐かしいです♪

志賀高原は、よくスキーに行ってました。
滑りながら全山めぐりしたりして。楽しかった。
焼額〜横手は好きなゲレンデだったなあ・・・
頂上小屋の焼きたてパンがおいしかったんですよね。

レースに参加される方がいらしたら、何やってるのかなーときょろきょろしていただけたら嬉しいです。
posted by とんべり at 10:41| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月19日

四十九日

今週は、本当にシビアだった。
ダンナが死んで以来、シビアじゃない日なんてないのだが、それでも半端なくきつかった。

裁判の準備が山場をむかえ、弁護士さんとは2回面会し、熊谷に検事調書を作りにも行った。
検事調書では、ダンナの生前の姿を写真も使って紹介することにしており、そのための原稿を書いたり、昔のアルバムを引っ張り出して片っ端から写真を見たり、友人から思い出話しや写真を寄せてもらったり・・・
多くの人が、エピソードや写真を寄せてくださった。
そのほとんどは調書に盛り込めなかったが、ダンナの父母が聞いたら喜ぶ話しがたくさんあった。
プリントして送ってあげようと思う。
だが、作業は辛いことの連続である。
楽しかった頃のことを思い、何でこんなことになったんだと思い、家族3人幸せだった頃の写真を強いて見ながらキーボードをたたく。
その傍ら、パラ企のリタさんと署名活動の話を詰める。
弁護士さんに署名集めの法的注意点を何度も問い合わせ、慎重に事を運ぶ。
署名してくれた人に迷惑がかかってはいけない。
せっかく署名してもらったのに、むだにするような事になってはいけない。

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全部、好き好んで自分でやっていることである。
しかも、私が参加制度を使ったり、署名活動をすることで、かなりの人を巻き込んでしまっている。
その結果、何かが劇的に変わるのかというと、世の中そう甘くはないだろう。
支援してくださる方への感謝の気持ち。
申し訳ないという気持ち。
自分はわがままだという気持ち。
それでも、やらずにはいられない。
何も抗議しなければ、被害者はそれで納得しているのだと片付けられてしまう。
加害者はあんなに飲んでハンドルを握っていたのに。
ダンナは反射板や点滅灯をたくさん付けて左端ぎりぎりを走っていたのに。
車は左のガードレールにぶつかってブレーキも踏まずダンナをはねたのに。
なのに、わざと轢こうとして酒を飲んだわけじゃないから『過失』?
『飲んだらハンドルを握るな』なんて、ただのタテマエだ。
飲酒運転が減らないわけである。
事故も減らないわけである。
飲酒交通事故天国=ニッポン。

何かやらずにはいられない。
自分の手でダンナの骨を拾わねば気がすまない。

だが、事なかれ主義で被害妄想の父は署名活動に大反対だ。
弁護士さんにちゃんと相談しているから大丈夫だと言っているのに、「これだけ言ってもやるというなら、とんでもないことが起こってから後悔すればいいんだ!自己責任でやれ!!」と怒鳴られた。
もとより、何も頼んでないし、自己責任なのは当たり前である。
そこまであんたに言われる筋合いはない。
ダンナの両親は「息子のためにやってやることができた」と署名活動を歓迎して、張り切って集めてくれているそうだ。
よかった・・・
どうも父は、私がダンナのために一生懸命になることにやきもちを焼いている節がある。
今週はあまりにきつかったのでカウンセリングに行ったのだが、カウンセラーさんは「ご主人が亡くなったことで、あなたが娘に戻って帰ってきたような気になってるんじゃないですか?」と言っていた。
迷惑千万。

欝の薬も今週から倍にした。
よくあることらしいが、量を増やした直後はかえってだるさや不安感におそわれるらしい。
月曜日と火曜日は、午後になるとなんとも言えない気持ちになり、背中がむずむずするような、高いビルの端っこでつま先立ちしているような、理由のない不安と苛立ちに悩まされた。

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そして木曜日、検察に行った。
最初はいやなやつだと思った検事だが、弁護士を立てたせいなのか、こちらの熱意が伝わったのか、ベルトコンベアーに乗っけてさっさと片付けようとしていたダンナの案件に、ちゃんと取り組んでくれる気になったようである。
私が用意したエピソードの原稿はそこそこ長い。
写真も弁護士さんと11枚選んだのだが、弁護士さんは「内容も写真も検事にざっくり削られるだろう」と言っていた。
それが、いざ調書が取られてみると、私の原稿がほぼ全文調書に取り込まれた上、検事が私たち夫婦や家族の姿を「こうだったに違いない」とイメージを膨らませた部分も盛り込まれていた。
写真も全部採用された。
驚いて「もっと短くされると思っていましたが」と言うと、「どこも削ることができませんでした」と言っていた。
検事が人払いをしたがったので、調書を作成した時は私ひとりだった。
弁護士さんは熊谷まで行ったのに待合室で待ちぼうけだったのだが、いきさつを聞くと「うーん、どうしてだろう?」と首をかしげていた。
何かまずいことでもあるのだろうか?
医者や弁護士が首をかしげると、すごく怖い感じがする・・・

弁護士さんと別れ、叔父叔母とランチをとっていると、叔母がぽろりと「裁判が終わったからって、これから先がながいんだから、ずーっと大変よー」と言った。
その途端、ダンナのいないこれからの長い長い生活が、ずしんと音を立てて目の前に落っこちてきたようで、目の前が真っ暗になり、手足が痺れて、動悸がひどくなった。
いたたまれなくなり、叔父叔母をその場に残して逃げるように帰ってきてしまった。
その足で仕事に行き、何とかこなしたのだが、薬を飲んだのに一向に気分が良くならない。
締め上げるような孤独感が増す一方で、「だれか!誰でもいいから助けて!ダーリン、助けて!」と心の中で悲鳴をあげ続ける。
たまらず友人にメールするとすぐに返事が帰ってきた。
慰めの言葉を読んでいるうち、刃のような孤独感は徐々に薄らぎ、少しずつ地面を踏んでいる足の感覚が蘇ってくる。
さらに息子の顔を見たら、だいぶ落ち着くことができた。
息子はいつだって私のカンフル剤である。
孤独ではない。
淋しいが、決してひとりではないのだから。

翌日は、花をたくさん買いこんできた。
今週は忙しくて、まめに水も替えられなかったし、暑くなってきているので、花がすっかり痛んでしまった。
頂き物のジャーマンアイリスの次には、ブルーとイエローを基調にした花を飾っていたのだが、今回は南の島らしい強い色彩を選んでみた。

花を飾った後、しばらく黙って遺影を抱いていた。

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夜、ダンナの友人からメールが来た。
轢かれた時ダンナが落としてしまったケータイを、現場まで探しに行ってくれた人だ。
死んだことが信じられず、ダンナのケータイに何度も電話を入れていた人だ。

「今日は四十九日ですね。(友人葬だったので)仏教の決まりごとにはこだわらないと思いますが、今日は六道のどれかに生まれ変わるだいじな日なんだそうです。輪廻転生があるなら、またお互い人間に生まれて、酒をくみかわしたい・・・」

すっかり忘れていた。
四十九日が近いことは意識していたが、親族はなにかというと「法要が・納骨が・お返しが」と決まりごとのことばかり口にする。(私が裁判一直線なので、苦言を呈したくもなるのだろう)
そこへ持ってきて、加害者側の保険屋が四十九日すぎると接触してくるという話を聞いて、「四十九日ってなんなんだよ!」と怒りを募らせていたのである。
ほんわか温かい気分になってメールの返事を書いた。
「前世でも夫婦だったと確信してるし、来世も一緒になると思います。きっと私のことを待っていてくれるでしょう。」
だが、四十九日はこちらからあちらに渡ってしまう日でもある。
まだ行ってしまってはいけない。
ずっとここにいてほしい。
せめて裁判が終わるまでは・・・
心細くなって、たんすの引き出しを開け、ダンナのシャツを引っ張り出した。
ダンナの匂いがした。
靴を引っ張り出した。
死んだとき身につけていたランニングウエアを引っ張り出してきた。
遺影に写っているオレンジのシャツ。
車に轢かれて裂けたシャツ。
こんなものだけ残して、行ってしまってはいやだ。

翌日、友人から花が届いた。
すばらしい香りのするピンクの愛らしいバラ・・・
手紙が添えてあった。

「アルさんへ
とんべりさんと息子さんには私たちがついてるから安心してね。」

私へではなく、ダンナへの手紙がすごく嬉しかった。

四十九日は、こうやって過ぎていった。

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posted by とんべり at 15:18| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月09日

被害者参加

あれやこれや・・・
経験したくないようなことばかりの毎日。
ぽつりぽつりとブログにこぼしているが、次から次へといろいろ起こる。

裁判における被害者の不在。
加害者側の意識の低さ。
法の不備。
なんだかんだ。

悩んだ末、被害者参加制度という、比較的新しい制度を使って自分も裁判に参加することに決めた。
心療内科の先生は「負担になって疲れるだけじゃないの?」と言っていた。
たしかに。
そんなことをしても、結果は何も変わらないかもしれない。
だが、そういう制度があることを知ったら、使わずにはいられない。
何もしなかったら、ダンナを見殺しにしたような気になるだろうから。
後に引けない気持ちを知ると先生は「結果が思った通りにならなかったとしても、やるだけやったんだから満足しないとな。」と言う。
正論。
それでも、自分のやり方が悪かったんじゃないか、とか、自分の力不足だったんじゃないか、とか、どうせ自分を責めるのは分かりきっている。
でも、やらないよりはマシだと思っている。

時々、何もかも放り出して、何もかも忘れて、遠いところ(まあ、タヒチとか)に行ってしまいたいと思う。
強い光線は、欝にもいいらしい。
日サロ依存症になってしまう人がいるくらいだ。
だが、何より放り出してしまいたいのは、自分自身。
ダンナの妻だと言うことを放り出せたら、拷問にかけられてるみたいな喪失感も、自ら背負い込んだ裁判の重圧も、きれいさっぱり。
そこら中に喪失感爆弾がごろごろ埋まってる地雷原を用心しいしい歩いているのに、しょっちゅう自爆しているような毎日とおさらばしたい。
それは本当だし、嘘だ。
ダンナを否定することは、自分を否定することだ。
自分を否定することは、ダンナを否定することに他ならない。

昔の写真を引っ張り出して見てみた(自爆)
ダンナの写真にも胸が詰まったが、私と息子を撮ってくれている写真に愛があふれていて、どれほど大事に思われていたかが痛いほど伝わってきた。

感謝の思いを、どうしたって伝えることができないのが、ただ辛い・・・

ラン仲間の楽松師匠が、『飲酒運転撲滅・追悼ラン』に行かれた。
たった一人の520キロである。
想像を絶する。
夫のナンバーも背負っていってくださった。
日本海に立つことができた。
空に星がひとつ、輝いていたそうだ。
師匠、ありがとうございます・・・

また、ラン仲間の方たちで『飲酒運転撲滅キャンペーン』を展開してくださるようである。
友人は、何か手伝えることはないかと言ってくれる。
ありがとうございます。


厳しいランのさなか、エイドに助けられながら一歩一歩前に進む。
きっとそんなだったろう夫の背中を見ながら、私もちょっとずつ前に進む。
posted by とんべり at 10:45| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月30日

裁判 A

ぼんやりネットサーフィンをしていたら、裏サイトで知り合った男3人が女性を惨殺した事件で、極刑を求める署名活動に何万人も署名したと言うニュースが出ていた。
ネットを使って短期間に集めたと言うことだが、なるほど、今はそういうシステムがあるのかと思った。
ちらちらと調べてみると、なかなか興味深い仕組みである。
うちもやってみたらどうだろうかと思った。
もっとも、こちらは良くある飲酒交通事故で世間的に耳目を集めるような要素は何もない。
だが、友人知人に声をかけたら少しは署名も集まるかもしれない。

葬儀が終わってから調べてみたのだが、交通事故というのは笑えるほど刑が軽い。
悲惨な事故が相次いで危険運転致死傷罪と言うものができ、自動車運転過失致死罪と言うものもできたが、それでも軽い。
まるでハンドルを握った人間が轢いたのではなく、車が勝手に走っていって人を殺したかのような扱いである。
しかも、裁判で加害者に情状酌量する点をどんどん見出して、刑はどんどん軽くなる。
反省した態度を取っていると軽くなる。
わざと轢いたわけじゃないと軽くなる。
日本の刑法は殺され損と聞いていたが、本当にそうである。
死んだ人間には人権がない。
ダンナにはもう人権がない。
そんなバカみたいな裁判をただ傍聴して、判決が言い渡されるのを聞くのは、遺族にとって地獄だ。
ダンナが二度殺されるのを見るようではないか。
しかも司法の場で。
何でもいいから、自分にできることが何かやりたかった。

もちろん極刑を求めてなんかいない。
ただ、車が勝手に轢いたんじゃなくてドライバーが、それもいけないと分かっていて酒を飲んだ上で轢いたんじゃないかと言いたいだけだ。
そういうのを『過失』と呼ぶのはおかしい。

その無責任運転が、まだ49歳という年でダンナから人生を奪った。
まだまだやりたいことがたくさんあった。
オレ、もっと走れる気がするんだ。まだまだこれからなんだと言っていた。
子どもの成長を見るのを楽しみにしていた。
自分が親にあまりかまってもらえなかったので、息子の行事には会社を休んででも出ていた。
夫婦ふたりでやりたいこと、行きたいところもたくさんあった。
全部、なにもかもが失われてしまった。

私の一番大事なものが奪われた。
ダンナが帰ってきてくれるのなら、自分の健康も、夢も、仕事も、すべてを投げ出してもかまわない。
ただ顔を見ることができるなら、寝たきりになってたってかまわない。
帰ってきてほしい。それだけを一日中願っている。
だが、絶対に二度と戻ってはこない。

息子は父親が大好きな子だった。
反抗期らしい反抗期もなく、父を自分のヒーローだと思っていた。
突然の大きな存在の喪失に、自分の気持ちを表すすべを息子は失ってしまった。
ただ悲しい顔をして、何をしても父は戻ってこないと言う。

そんな不幸を私たちにもたらしたものを『過失』だと、『反省している』と、『わざとではない』と呼ぶ法律は絶対に間違っている。

近所の友人と高校時代からの友人に署名についてメールを投げてみた。
すると「何かやるんだったら手伝うよ!」という励ましの言葉や、「そういう場を設けることは、遺族のみならず、故人の死を無念に思っている友人や、遺族の悲しみをみて憤りを感じる友人の気持ちを晴らすことにもつながるから、決して無意味ではないと思う」という言葉や「こんなサイトがありました」というメールをもらった。
本当にありがたい。
やはり持つべきものは友人である。

その「こんなサイト」の中に『交通事故死被害者マニュアル』(第2版)と言うものがあった。
これは交通事故死した被害者の遺族が通過する不愉快な道と、そこで遺族がすることのできる数少ないことをマニュアル化した優れたサイトであった。
ざっと読んでみると、今までのところ道を外していないようだ。
これからやるべきことの中に、署名もあったし、大きいものでは被害者の意見陳述というものがあった。
確か遺族調書を取った時、叔父が警察の人にできるかどうか聞いていたようだ。
警察の人は「それは検事さんが判断することだ」と言っていたように記憶している。
マニュアルに寄れば、しっかりはっきり検事さんに頼んで、裁判ではぜひ意見陳述してほしいということであった。
もちろん、警察の人には頼んでみるつもりであるが、そのほかに打つ手はないものだろうか?
警察でもらった小冊子に県の相談センターなる窓口の電話番号が載っていたので、千葉に電話してみた。
すると、埼玉のことは埼玉に聞いてくれと言う。
あわてて埼玉に電話したが、すでに業務時間は終わったようだった。
翌日火曜、息子と警察に遺族調書を取りに行く日である。
葬儀で予備校もかなり休んでいるので、そうそう休ませるわけにも行かない。
授業が終わってから新幹線で行くことにして、東京駅で待ち合わせをする。
それまでの時間を使って埼玉の相談所に電話してみた。
そういうことは検察にじかに話してもらいたいと、埼玉の検察庁の番号を教えてくれた。
今度はそこに電話すると、ここは浦和だが担当検察庁は熊谷じゃないかと言う。
「まだ担当の検事から電話はありませんか?」ときかれたので何もないことを話すと、「じゃ、検事から電話入れるように伝えますね」と言ってくれた。
ほどなく担当の検事と言う人から電話が来た。
なんだか意味もなく声を出して笑う人で、一体どこにそんな笑うようなことがあるのかとちょっと不思議になる。
「こっちからお電話するつもりだったんですよ」(笑)「まだ起訴不起訴決まってませんが、審理中です」(笑)「今週の金曜に起訴か不起訴か決まります」(笑)
これを聞いてびっくりしてしまった。
まだ息子の調書を取っていないのに、もう審理に入っているとはどういうことだろう。
金曜に起訴か不起訴かが決まるなんて早すぎる。
慌てて意見陳述の話しをしたら、「私からもお勧めしようとは思っていました。6月の末にでもこちらに一度お越しいただけませんか?相談しましょう」ということで電話は切れたのだが・・・
マニュアルを繰ると検察での取り調べ段階はひじょうにだいじであると書かれている。
なぜなら、ここで求刑する量刑が判断されるからである。
警察では、被害者も見ているし、事故車も見ているし、目撃者の調書も取っているし、遺族とも会っている。
だが、検察ではそれらが書面になったものしか目にしない。
それを元に量刑が判断されるのである。
ぜひ被害者遺族の心情を理解していただくためにも、上申書なるお手紙を書くべしということだ。
飲酒の上、ブレーキも踏まずに即死させたのだから、まさか不起訴になったりはしないだろうと思ったが、いても立ってもいられない。
上申書だなんて、なんだかよくわからないが、とにかくマニュアルにのっとって手紙を書いた。
だが、今日は火曜。起訴不起訴が決まるのは金曜。
郵便で出していては間に合わない可能性がある。
警察に行く時、ちょうど熊谷を通るので、ついでに置いてこようと思った。検事さんに手渡せなくても受付に預ければよいだろう。
すると息子から、東京駅に着いたという電話が来た。早い!
約束の時間を勘違いしたらしい。
これは検察に行けという天からの声と思うことにして、上着を引っつかみ家を飛び出した。
走って走って電車に飛び乗り東京駅を目指す。
総武快速のホームと新幹線のホームは一番端と端でとても遠い。
移動しながら熊谷検察に電話を入れ、今、新幹線で向かっているから書類を受け取ってほしい旨を告げた。
息を切らせて新幹線乗換え口についたが息子の姿が見えない。
東京駅の新幹線の乗換え口はたくさんあって、場所も離れていたりする。
息子に電話すると「南乗換え口と書いてある」と言ってきた。
いやな胸騒ぎがした。
1年前、川の道をリタイアしたダンナを迎えに東京駅に来た。
中央乗換え口に来てみたがダンナの姿が見えない。
電話してどこにいるかと聞いたら「南乗換え口」といったような気がするのだ。
駅員さんに南乗換え口の場所を聞いて小走りに向かう。
ああ、そうだ。やっぱりここだった。
なんと言う偶然、一年前にダンナが立っていた場所に息子が立っている。
こんなのはあんまりだ!
あまりにも何もかもすべてが変わってしまった。
あの時は、憔悴したダンナのことが心配だったが、ダンナは生きて私の元にいた。
私が笑いかけたら笑っていた。
今回はリタイアしたけど、走れない気がしない。
次は必ず完走するといっていたのに・・・
なのに、一体なんでこんなことに。
ゴールデンウイークが来るたびに、警察から電話をもらった時の、警察に向かって池上線に乗っていた時の、シートがめくられダンナの死に顔を見た時の、すっかり冷たくなったダンナの頭を洗った時のことをまざまざと思い出すだろう。
ハイドロチューブに着いていたダンナの血を、友達が見つけてくれた轢かれた時に飛ばされた携帯を、切り刻まれたランニングウエアを、役に立たなかった反射板を、カメラに収められたダンナの笑顔を、納棺されたパラ企ののぼりを、小さな骨になってしまったダンナの最後を思い出すだろう。
そんな重たい記憶を担いで、私は一生生きていかなくてはならないだろう。

この運命は変えることはできなかったのだろうかとまたしても思い悩む。
私が電話していたら。
誰かがメールしていたら。
ハンドライトの電池を換えようとコンビニに寄っていなかったら。
その前に、私が出場を止めていたら。
ダンナがランニングに出会わなかったら。
たら。たら。たら。たら。たら。たら。たら。
果てしなく続く『もし〜だったら。』
無意味な苦しい時間がだらだらと過ぎていく。

気がついたら熊谷だった。
posted by とんべり at 00:37| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月29日

裁判 @

仕事は葬儀の翌週から復帰した。
たいした収入ではないが、ここで職は失いたくない。
不況だし、年だし、一度手にしたものはそう簡単に手放せないのだ。
だが、やらなくてはならないことが山のようにある。



各種手続きは言わずもがな。
この手続きというヤツ、面倒くさいだけではない。
遺族にとって、非常につらい仕事である。
要するに、故人と社会との関係を自分の手で切っていく作業の連続に他ならない。
あっちの手続きやこっちの手続きに必要な書類は、『死亡』『死亡』『死亡』と書いてあるものばかり。
ケータイだって本人じゃないと解約できない。
センターに電話して「本人は解約に行かれません」と言ったら「どうしてですか?」と聞かれる。
「亡くなりました」と答えると「あらー、死亡届が要りますね〜それ持って窓口に来てくださーい」と明るい声。
うんざりして「書類を送るだけではいけませんか?」と聞けばむっとして「ムリですねぇ〜」と言われる。そんな簡単なことが何でできないんだと言わんばかりである。
彼女の世界には死の影なんかひとかけらもないんだろうなと想像できる。
キラキラ明るい清潔で幸せな世界。

入っていたわずかな生保も、ダンナの会社からでる見舞金や埋葬金も、なんだかダンナの命がお金に換わっていくようで手続きすること自体が汚らわしい。辛くて辛くてしょうがない。
手続きに行こうと書類を手に取るだけでお腹が下ってしまい、ズルズル先延ばしにしている状況だ。
死亡だとか事故だとか暗い文字ばかりの書類を見ながら、ダンナが帰ってきて、こんないやなものはもう見なくていい、全部悪い夢だったんだ、心配するなと言ってくれたらどんなにいいだろうと思う。
一日中、体の中で内臓をつつきまわしている喪失感、無力感が突然大きくなって、心臓をえぐり出すような激痛に変わる。
体を二つ折りにして耐えるが、こんなに痛いのにまだ生きている自分がふてぶてしくて情けない。
簡単に死んでしまう人もいる一方、なかなか死なない人間もいる。不公平だ。



だが、なんといっても一番たいへんなのは裁判である。
飲酒運転の車に轢かれて死亡しているので、加害者が刑事罰に問われることになる。

まずは、遺族調書を警察で取るために秩父まで遠出しなくてはならない。
だがその前に、病院で看取ってくれた医師から話を聞きたいと思い、午前に病院、夕方に警察という強行日程でダンナのおじおばをお供に秩父へと向かう。
病院は大きくて近代的な赤十字病院で患者さんも多い。
11時に入って医師に面会できたのは2時過ぎだった。
30代くらいのまだ若い先生は、疲れているだろうにいやな顔もせず詳しく説明してくれた。
生々しい話だった。
パッと見、あまりダメージがなく出血もほとんどないが、レントゲンを撮ったらあちこちの骨がボキボキに折れてたそうである。
肋骨が何本も折れて、ひざは粉砕。腕も骨折。
だいじなダンナの体をそんなにされて、真っ黒な気持ちになる。
車のスピードが出ていて、衝突のエネルギーもかなりのものだっただろうと医師は言っていた。
警察の話では、ただ首の骨が折れたというだけで、そのことだけ聞けば打ち所が悪かったみたいに取れなくもない。
辛かったが医師の話を聞いてよかったと思った。

次に警察署に行く。
この時、調書をとってくれた警察の人は、最初に会った担当の人(「早く死体持ってかえって」と言ったヤツ)ではなかった。
渋い声で怖い顔の、私よりちょっと年上の人だったのだが、意外なことによくダンナのことを知っていてくれた。
目撃者のOさんの調書をよく読んでくれていたのではないだろうか。
遺族調書というものがどんなものだか良くわからず聞かれることに答えていたら、警察の人が私が言ったかのように作文している。
ふーんと思いながら最後に読み上げられたものを聞くと、こちらの気持ちに配慮した同情的な内容のように思われた。
警察も非情な人ばかりではないんだと思いながら帰途についた。

が、帰宅してから、自分のことばっかり話して息子の思いを伝えなかったことにハタと気づいた。
裁判というものは加害者のためのもので、被害者遺族は裁判が始まってしまえばただ傍聴するしかないのである。
言いたいことがあるなら遺族調書で言うしかないのに、一体どうしようと真っ暗な気持ちになってしまった。
泣きながら、同情的に思えた警察の人宛に手紙を書いた。
「息子の思いを伝え損ねました。今から加えていただくことはできないでしょうか。」
すると電話がかかってきて「奥さんの調書はもう送ってしまったけれど、息子さんが来てくれたら彼の調書は取りますよ」と言ってくれたのだ。
来週の火曜夕方に行く約束をした。
よかった。分かってくれようとする人もいるんだ。
大事なダンナを『死体』呼ばわりするような人ばかりじゃないんだ。
ほんのちょっとだけ気持ちが明るくなって、その時流れた涙は、いつもみたいにどす黒く血みたいに赤い涙ではなかったように感じた。
posted by とんべり at 19:02| 千葉 | Comment(2) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月12日

5月1日 A

改装中らしい警察署はぺこぺこしたプレハブ造りで、霊安室は本屋とは別に、敷地の奥にひっそりとあった。
扉を開けると簡単な線香台があり、白いビニールシートをかけた人の形。
とても小さい。
警察の人が線香に火をつけて合掌する。
「いいですか?」
と私の方を向く。
小さくうなづくとそっとシートの端を折った。
ああ。
どうして。
なんでこんなことに。
きれいな顔で、額に引っ掻き傷はあるが、まるで疲れて眠り込んだ人のようだった。
「主人です」
「間違いないですか?」
間違える?この人の顔を間違える?
警察の人の言うことがさっきからどこかピントはずれで、自分が別の世界にずれ込んでいくような感覚が強くなってくる。
一瞬、シートを引き剥がしたい強い衝動を感じたが、一度病院に行ったならたぶん服は身につけていないことに気がつき押さえた。
シートの上から、組んだダンナの手を強く握り締める。
振り向くとムスコが硬い表情で立っていた。
ふたりで支えあうように霊安室を後にした。
玄関で父と母が待っていた。
「晃さんだった・・・」
父と母の目がガラス玉のようだった。

ちょっと話を聞きたいと通された部屋は階段下の物置みたいな小部屋で、警察の人が3人ほどと私とムスコが座ると、もう部屋はいっぱいだ。
ここでもまた、免許証のことや住所の何丁目何番地を聞かれる。
私の免許を持っていってコピーする。
私とダンナの免許の登録住所が違うのはなぜかと聞かれる。
ダンナが面倒くさがって住所変更しなかったと言ったつもりだったのだが、別居でもしていたのかと身を乗り出すのでアホらしくなった。
冷たく無関心で呆れた気分。
それがその時の私の心にあったものだと思う。その一方で、「死んだ死んだ」と頭の中で大きな声がずっと響いていた。

レースに出た経緯などをひと通り聞かれたところで、やっと事故の状況説明を受けた。
手書きの簡単な図を示しながら、「現場はものすごく暗いところでね」という。
まるで暗いところを走っているのがいけないように私の耳には響いた。
川の道は夜間走行があるので、参加者は反射板などを身につけて走るのは当然のことだし(大会のブックレットにも明記してある)、第一、ヘッドライトなどがないと自分自身が走行できない。
暗闇でもかなり目立つ格好をしているはずだ。
それに、ダンナは今回のレース直前、「川の道では反射板は必須だからね」となにやら仕掛けのあるオレンジとピンクの巻きつけ型の反射板を買ってきていた。
「現場は片道1車線の対面通行で、歩道はなくて道の端にガードレールがありました。ご主人の後ろを走っていたランナーが言ってますが、ご主人は道路の左端のガードレールぎりぎりを歩いていたようだ。そこへ走ってきた車、車種はエスティマなんだけれど、いったん左のガードレールにぶつかってご主人をはねたようです。」
そうか、目撃者がいたのだ。
ひき逃げされてひとりで淋しく死んでいったわけではなかったのだ。
「ブレーキは踏まなかったようです。しかも運転手は酒を飲んでました。べろべろってわけじゃないが、はっきり呼気にアルコールが出ました。同伴者もいました。現行犯逮捕して拘留してます。」
犯人も拘留されたのだ。
「轢かれた時、頭を強く打ったようだ。よくあることだけれどそのまま体がボンネットに乗って、運転手は気がつかずそのまま数メートル走って、ご主人の体が沿道の竹林に放り出されました。スピードは60キロくらい出ていた。ほとんど即死に近かったんじゃないか・・・死因は頚髄損傷・・・」
眠るような穏やかな顔だった。きっと苦しまなかった。良かった、せめてそれだけは・・・
「リュックと靴と着衣ですが、ご主人のものに間違いはないですか?」
見慣れたTシャツ、いつものランシューズ。
ザックを取り上げると、ハイドロチューブにちょっと血がついているだけで、ほとんど出血の跡がない。
一生懸命走っていたのだろう。ザックの背の部分が汗臭かった。
「これが加害者の名前と住所です。」
33才 地元の人だ。
33にもなって酒を飲んで無責任な運転をし人をひき殺した・・・夫を殺した・・・
「ブレーキも踏まず飲酒運転ってかなり悪質じゃないですか?」
一瞬険しい声を出すと、警察の人が
「だから逮捕して取り調べているんじゃないですか」
とむっとした答えが返ってきた。
犯罪なのだ、これは。
そうだった。
刑事裁判があるのだ。夫は犯罪の被害者になってしまった。
葬儀が終わればそれでおしまいということにはならない。
司法の場で罪と被害が「量刑」というもので計られることになるのだ。
刑事裁判は刑事罰だけなので、他に民事訴訟を起こさなくてはならないだろう。
きっと苦しい日々になる。
何度も何度も事故のことを振り向き、向き合う日々。
重苦しい荷が肩にのしかかってくる。

posted by とんべり at 11:52| 千葉 ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月07日

5月1日

ダンナが亡くなりました。

川の道のレース中、スタートしてまだ24時間経たない5月1日深夜2時、酒酔い居眠り運転の車にノーブレーキで後ろからつっこまれました。
ほぼ即死だったようです。





朝の4時半頃、電話の音でおこされた。
「埼玉の警察ですが」
の第一声に事故ったのだと思った。
山で滑ったか、また転んだか、本当にもう・・・
「奥さんですか?ご主人が事故で」
「どんな事故ですか?」
「車にはねられた」
「え?それで具合は・・・」
「かなり悪い」
「悪いってどれくらい?」
「病院は、亡くなったと・・・」

そんな・・・
そんなことがあるはずがない。
沈みこんでいくような気持ち。
月並みな表現だけれど本当だった。
ゆっくりと世界が自分から離れていく。
そんなはずがない。
でも、間違いではないだろう。
レース中なのでゼッケンに名前がついているし、主催の人にも連絡が行っているはずだ。
参加者50人くらいでスタッフもランナーも顔見知りのようなアットホームなレースなのだから間違いようがないのである。
「秩父の病院なんですが来てください」
電話を切った。
長野の父母に連絡しなきゃいけない。
でも、とてもできない。
ダンナは一人っ子だった。
父母は親代わりに年下の兄弟を養育しなくてはならず、ダンナにはそのしわ寄せがいってかわいそうだったといつも言っていた。苦労して育て、苦労させたことをいつも不憫がっていた。
うちの親より年も行っていて、父は風邪をこじらせて体調も優れない。
そんな父母にこんなことを伝えるなんて。
実家に電話したら「でも言わないわけにいかないでしょう!気をしっかり持ちなさい」と叱られた。
「警察に一緒にいこうか?」の問いに「行ってほしい」と甘えることにした。
長野の父母に電話した。
「え?嘘でしょう?死んだの?どうして?なんで?」
「レース中に車にはねられたようです」
まったく事実がしみこんで行かない様子の母を残して電話を切った。
それからムスコの部屋に行った。
寝ぼけているムスコの手を握ってしばらく何も言えなかった。
「お父さん、車にはねられて死んじゃった」
「え・・・」

どうやって身支度したのか覚えていない。
昨日つけたキラキラのネイルが指先で光るのを見て、タヒチの海みたいだと思った。
また電話があって、病院ではなく警察にきてくれという。
ああ、死んだのだ。やはり死んでしまったのだ。
携帯で調べると警察までは2時間半くらいの行程だった。
長い長い旅。
ずっと考えていた。
どうやって死んだのだろう。
その時は事故の状況をまったく聞いていなかったので、ひき逃げされ冷たい夜の中、電話もかけられず道端に転がったまま死んでいったのだろうか?などと思った。
前回、前々回とも夜も夜中もずっと心配で、寝る前にメールしたり電話したり、ふと目が覚めてメールをチェックしたりしていたのに、今回はすごく疲れていて、メールしようと思いながらケータイを開けたまんま寝込んでしまった。
もしメール1本、電話1本していたら、ほんの瞬間の差で事故は逃れたかもしれない。
もし私が寝込まなかったら。
それ以前に、もし私が止めていたら・・・
父母はレースに出るのを心配して、私に止めてくれといつも訴えていた。
私は「でもランニングはアルテマさんの生きがいなんですよ」と笑って取り合わなかったのだ。
私のせいだ。


夜が開け、朝になって、人が動き回る時間になっても、電話にはメールも通話も届かない。
それがなにより決定的だった。
人違いだったら、生きているなら、こんなにずっと連絡がないことはありえないから。
父母から電話が来た。
「お葬式しなきゃいけないのよ。どこでやる?長野に連れてこうと思うんだけど、どこでどんな式をやるかが問題よ」
まだなにも確認していない。
顔も見ていない。
何で葬式の話しをするのか分からない。
父母の田舎では誰かが亡くなると世話役が取り仕切ることがよくあるのだが、長年小学校教師をしてきたふたりは何度も式の世話をしてきた。
悪く言うと葬式慣れしてるのである。
たぶん「自分の息子」という部分をシャットアウトして「実行ボタン」を押されたロボットのように盲目的に行動しているのだろう。

9時過ぎ、やっと着いた警察署の入り口に実家の父と母が待っていた。
「私たちはここにいるから、まずあなたが行って確かめてらっしゃい」と背を押されて警察署の入り口をくぐった。
ソファに座らされあれこれ聞かれた。
免許証を持っていなかったがどこにあるのかとくどいほど聞かれた。
2週間ほど前、浪人が決定したムスコの予備校費用を払うため学資保険の請求をした。
その時、ダンナの免許証を郵便局に持って行ったのだが、ダンナがそれを回収したかどうかは分からない。
「家にあるかもしれません」
また違う人が来て、免許証のことや住所のことをくどいほど聞いてきた。
「数年前、近所に引っ越しましたが、夫は住所変更の手続きはしていなかったと思います。車も手放して運転しませんから」
住所は正式には何丁目何番地何号なのかとくどいほど聞いてきた。
人一人の生死より住所の何丁目何番地の方が大事な警察という存在に不思議な感じがした。
それからやっと「じゃあ顔見てもらって確認するしかないみたいだね」と腰をあげた。
「息子さんはどうする?今、何歳?」
「18歳です」平たい声でムスコが答える。
「じゃあだいじょうぶだろう」
そこでずっと気になっていたことをやっと口に出した。
「遺体の様子はどうなんですか?あまりひどいのなら子どもに見せたくありません」
というと
「それはだいじょうぶです」と言われたので、ムスコと二人で会いに行くことになった。


posted by とんべり at 11:48| 千葉 ☔| Comment(10) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月03日

TOKYO MARATHON THE 3rd

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今年で5回目を迎える東京マラソンに、ダンナは3回目のエントリー。
競争率9倍という厳しさを考えると、かなりの高確率と言えそうだ。
辺鄙な場所や、山の中のレースと違い、東京だと応援に行くのも比較的楽ちん。
今回は、ばーちゃん、ムスコ、とんべりの3人で応援に行くことになった。
フルメンバーである。
『走遊会』といっても会員=家族の極小集団である。
《ラン&ウクレレ部長》のダンナ
《ダンス&応援部長》のとんべり
《ゲーム部長》のムスコ
飛び入りでばーちゃんが顔を出すくらいだ。
実質1名のチームであるが、いずれちゃんとしたチームジャージを作る野望を持っていたりする(爆)
今回は東京マラソン3回出場を記念して、とんべりがTシャツを手作りすることにした。

まず「タヒチ走遊会」をフランス語に訳すのが難物だ。
とりあえず"Societe Tahiti de courses"と訳してみたが、フランス語的に合ってるかなぁ?
"courses"には「走ること、走る人」のほかに「遊ぶこと、熱中する人」という意味があり、走遊会の訳としては悪くない。
ま、変な漢字Tシャツを着た外人は山のようにいるし、アホな英語Tシャツを着た日本人も山のようにいるんだから、マヌケなフランス語Tシャツが1枚くらいあっても許されるだろう。
運がよければ、目にしたフランス人に添削してもらえるかもしれない(笑)
次にデザイン。
ティアレタヒチはマストだ♪
手持ちグッズを参考にさくっと描き、前面に持ってくる。
背面は10年ほど前に買ったT社のTシャツにすてきなマンタのデザインが乗っていたので、大いにインスパイアされつつオマージュなリスペクトをすることにした(爆)
さて、一番肝心なフォントであるが、タパ柄というかタトゥー柄というか、そんなイメージの字面をフリーサイトで探しまくった。
それらしいものをいくつかゲットしたが、今回はこのデザインに決定!
インクジェットペーパーをアイロンプリントしようと思っていたのだが、カラーのシャツに抜きのフォントだと一字一字切り抜かなければならず、このくそいそがしいのに時間が取れるわけもない。
そこで、安いTシャツ屋さんをネットで探し出し、背面だけ印刷してもらうことにした。
前面はインクジェットペーパーをアイロンプリントして、チームTシャツの完成だ!!

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さて当日。
スタートシーンが印象的な都庁前で応援すべく新宿に向かったが、なんと都庁近辺は観戦禁止エリアであった。
「あっちに行け」という警備員さんの指示に従い、都庁周りをぐるぐる移動。
やっとたどり着いた場所からは、看板と人垣の隙間からかろうじて道路をうかがい見ることができた。
が、そこですら後から割り込んできたヤツにどまん前に立たれ、100%視界をふさがれる始末である。
あちこちから「そこをどけ!」とか「見えんぞ!」とか「立つな!」という怒声が飛び、殺伐とした雰囲気が漂う。
やがて花火の音がビルの谷間に響き渡る。
レーススタートだ!
まず、車椅子の集団が狂ったようなスピードでカーブを曲がってきた。

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次に黒人の集団が、やはり狂ったようなスピードでカーブを曲がってきた。

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それからは、日本人プラスいろんな人種の人また人。人がまるで川のようだ。

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↑偶然にも3位に入った市民ランナーさんが写ってました!(2枚ともクリックで拡大します)

しばしあっけに取られてぼんやり眺めてしまったが、ハッと気をとりなおし、次の応援ポイント=皇居に移動することにした。
ビックカメラ裏の青梅街道合流地点で陸橋を渡りながらふと下を見やる。
うわっっっ気持ちわる〜〜〜〜〜!!
広い道路の幅いっぱいにみっちり詰まったランナーの群れが、視界の届く限りどこまでも広がっている。
まるで昨日見た映画『三国誌』に出てきた曹操の大軍団みたいである。
こんなシーン、映画のCGでしか見たことないぞ。
恐るべし、3万6000人!

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↑写真がまずくてこのスケール感をお伝えできないのが残念!
ちなみに陸橋の上は、立ち止まりも写真撮影も禁止。渡辺陽一さん流にファインダーを覗かず撮影♪

東京マラソンのスケールの大きさに不安を感じ始めたとんべりである。
ばーちゃんとは皇居の楠公像の前で落ち合う約束になっているので、丸の内線霞ヶ関駅で下車して歩くつもりでいた。
だが、地図をよーく見ると、霞ヶ関方面から楠公像に行くにはコースを横切らなくてはならないような・・・
いつのもレースだったらランナーの動向をうかがいつつ横断できるのだが、人が川のような東京マラソンにそんな隙間があるだろうか?
東京駅で降りて歩いて戻れば確実なのだが、ダンナの移動速度が思ったより速く、そんなことをしていたら間に合わなくなる可能性が高い。
ここは出たとこ勝負で、霞ヶ関でとりあえず下車する。
がらんとした大通りにたたずむおまわりさんに「皇居はどっちですか?」とすがりつく。
指さされた方向に闇雲に走るとんべり&ムスコ。
ムスコの万歩計によるとすでに6000歩は歩いているらしい。
いや、新宿についてからわしらはひたすら走り回っているぞ!5000歩は走っているだろう。
これは厳しい。
ランナーのみならず、応援も体力勝負の様相を呈してきたな!

祝橋というところにたどり着くと、案の定、楠公像はコースの向こう側にあり、ランナーは川のようで途切れることなく、もちろんコース横断禁止で、目に付く限り陸橋や地下鉄駅の入り口みたいな横断手段もない。
しかも、ランナーが走っているのが反対車線で遠い。
目に付くのはレイヤーばかりである。
A4サイズの紙に『タヒチ走遊会』とプリントして持ってきたが、ランナーも応援も多すぎてこんなものクソの役にも立たない。
次回の大会では、ぜったいダンナにコスプレしてもらおう。
のぼりも作ろう。
とんべりもセクシー尼さんのコスプレをしてやる。
そこら中、おかしな格好のヤツばかりなので、たいていのことでは逮捕されない。

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↑風当たりが強すぎると思いますが・・・

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↑風が強いと笠がヤバイが、ガイジン受けまちがいなし

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↑日本発世界標準 タヒチでも有名

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↑ピンクのヒラヒラを見て一瞬社長かと・・・おっさんやないけ!

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↑最近のライダーをチョイスするとはイクメン・パパ?空力的にナイスデザイン♪

と憤っていると、横で観戦しているのがフランス人母子らしいことに気がついた。
さすが天下の国際大会♪
すかさずコートを脱ぎ捨てTシャツをアピールするとんべり。
だが、リアクションはゼロである・・・
もしかしてフランス語だと思われてない??!!
そうこうするうち、ばーちゃんから「アルテマさん11時7分に通過」のメールが。
もう15分である。しまった、キャッチし損ねた〜〜〜!

がっかりしている場合ではない。
ランナーの移動速度は想像以上に速いので、急がないと追いつけない。
次は芝公園で応援する予定であったが、脚が悪いばーちゃんを引きずりまわすのはムリっぽい。
ヘタに移動するより、ここは銀座にみこしを据えて、じっくり次の対策を練ることとしよう。
が、コース向こうのばーちゃんと合流するのが、これまた一苦労であった。
とりあえず日比谷まで移動し、地下鉄の入り口から地下道に入ったのは良かったが、ばーちゃんが自分の位置を把握できないのである。
出入り口のナンバーで確認せよと言っても「Hの3」だとか「Iの7」だとか言う。
そんなナンバー聞いたことない・・・(涙)
ようやく「Aの8」というのでダッシュをかましたが、どこにもそれらしき姿はなし。
よく問いただすと「↑A8〜A7」という看板の下にいるという・・・
ようやくばーちゃんをゲットしたときは、すでに1時間は経っていた。

さて、地上に出るとそこは花も恥らう銀座4丁目交差点である。
いくら銀座でイベントがあるからってこれは多すぎないか?と思うほどの人の山。
心なしか酸素が薄いような。
とりあえず人垣の割れ目に頭をつっこんで品川戻りのダンナを待つが、なかなか来ない。
一同不安になり、もしかしたらもう行ってしまったのでは?と額を集めて相談する。
その間に、ダンナは私らの後ろを通過して行ったらしい・・・
どこまでも間が悪い今回の展開だ。
悔やんでも浅草に行ってしまったものは仕方がない。
今度こそ戻ってきたところをゲットせねばならない。
銀座4丁目交差点はあまりよい場所とはいえないので、もう少し落ち着いた場所を求めて移動。
新橋演舞場近くに陣取った。

陣地はちょうど35キロ地点。
マラソンのレースは、ここからが勝負と言われる距離である。
しかも、ちょっとした坂になっている上、晴れてきて気温が高い。
グダグダなランナーが続出である。
そんな中、快走を続ける元気なレイヤーさんたち(笑)
暑いのにがんばってるなあ。

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↑女装レイヤー多発!
撮り損ねましたが、『制服姿の綾波』なおっさんも・・・(滝汗)

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↑超人気者だったドロンジョ様♪
そこら中から「ドロンジョがんばれー!」の声が!

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↑まわしみたいなTバックがきわどい!と思ったら全身着ぐるみですな(笑)

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↑NIPPONといえばPOKEMON

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↑カツラの毛ってけっこうカユイんだよねー・・・ってこれもおっさんやー!

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↑フェルトで作るとは、このデザイン、なかなか・・・

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↑ぐだぐだの戦闘員 「首領様!もうオレは走れません〜」

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↑だるまです

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↑宇宙から参戦 「じゅわっ!」

タイムテーブルやケータイの通過速報を睨んでいたムスコが、「着実にペースを上げている現況を鑑みるに、ここ10分間で通過するパーセンテージが一番高い」とグラフのようなことを言った。
動き続ける3万6000人のランナーを凝視し続けて疲れ果てた動体視力に最後のムチをくれる。
と、その時、かっと開いた目の前をけっこうなスピードで走りぬけるランナーひとり。
ウエアーがダンナっぽいが、ぐだぐだランナー多発の中、颯爽と快走してるのでまさかダンナとは思わなかったのだが、そのまさかである!
「ダンナーー!がんばれーーー!!」と声の限りに叫んだのだが、ああ〜〜〜全然気づいてない〜〜〜〜
振り向きもせずに行ってしまった・・・

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その後、新富町駅から地下鉄→ゆりかもめと乗り継いで、ゴール地点のビッグサイトへ。
ケータイのタイム配信をチェックすると、すでにダンナはゴールしている。
ランナーの脚力、侮りがたし。。。
貴重な休みを潰して応援に来たが、けっきょく一度も応援できず、ひたすらランナーを追っかけて走り回った一日であった。(少なくとも2万5000歩は走ったようだ)
ムスコは「計画の立て方がずさんすぎる」と言うが、はいはい、お説の通りでございます。
でも、まさかこんな状況だとは思いもよらなかった。
ランナーの数も桁外れだし、応援が異常な盛り上がりだし、たしかに他の大会とは一線を画したレースだと言えそうだ。
日本でワールドカップを開催した時の盛り上がりをちょっと思い出した。
次の機会があれば、きっちり計画を立て、小道具演出満載で臨みたいものである。

で、肝心のダンナのランはというと、当初の目的4時間切りを果たすことができた。
一時期は本当にボロボロだったので、よく復調したものだ。
が、この調子で記録が上がるとすると、次はさらに移動スピードが上がるので、応援もさらに過酷になるに違いないのだが・・・

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posted by とんべり at 11:34| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月18日

今年はフル@日本横断『川の道』フットレース2010 D

新潟県を踏んだところで終わった今年のダンナの『川の道』
しょっぱなからアキレス腱がダダをこねたが、だましつつ、あやしつつ、日本海側までやってきた。
とんべりやとんべり母の心配をよそに本人はまだまだ走れるような気がしていたらしいが、体は正直者で、タイムアップしたと知った途端、全面ストライキに入ったようだ。
いきなり歩行困難。
「あーもう俺ダメ、ヒッチハイクでもしよう。」と手を上げたら、ぴたっとタクシーが止まった。
ほとんど車も走ってないような道のくせに、鋭すぎるタクシーの営業嗅覚だ(笑

車に乗れば、あれほど苦労して進んだ道も、ほんの一瞬の距離にすぎない。
便利である、快適である。
快適なことは悪くない。
とんべりも快適さは大好き。
でも、時々、不便体験をすることも悪くないと思う。
わざわざ、自分の足で移動したり、自分で食べるものは自分で運んだり、寝る場所をそのつど探したり・・・
そういう時代に逆行したようなことをしているとどんどん大変になってきて、歩きながら必要ないものをちょっとずつ道端に捨てていったりするのである。
辛くても運びたいほど大事なものが何なのか、分かってきたりする。
あ、もちろん、本当に物を捨てるわけじゃないです。修辞的表現てヤツね(笑
世はデトックスブーム。
余計なものは脳からも排出したほうが健康に良い。

最後のレストポイント『深雪会館』に到着。
途中何度か一緒になったランナーのひとりの方と再会する。
この人は、寛平ちゃんも走ったサハラレースに参加してきたばかりだそうだが、そのサハラより『川の道』の方がきついとこぼしていた。
やはり、あの三途の川付近を夜間走行中、思わず泣いてしまったのだそうだ。
「今までの人生で、泣きながら何かをしたことなんてなかったです。」
泣きながら走っていた所、後ろから来た選手ふたりにピックアップされ、気を取り直してここまで辿り着いたということだ。
もちろん、サハラレースだってすごいレースである。
炎天下の砂漠を250km 7日間かけて走破する。
こちらは全行程の食料をすべて自力で担がなければならない。
水は毎日主催者が用意してくれるものを持っていけるが、寛平ちゃんが走った時は、計算を間違えて最後の1日は食べるものがなくなってしまった。
ただ、このサハラレースは、ほぼ夜間走行がない。
最後の方にオーバーナイト・ランが1回だけあるが、後は1日毎にピリオドがあるので、そういう点では6日間通してすべてのペース配分を自分で組み立てる『川の道』より凌ぎやすいと言えるかもしれない。
『川の道』・・・まことに恐ろしいレースである。

深雪会館では、靴のアクシデントを抱えた師匠も、幾度か一緒になった今回最高齢ランナーさんも新潟目指してメンテに余念がない。
すでにレースが終わってしまったダンナは、ただお見送りするばかり。
スタッフの方に、ゼッケンはずしての自由参加を勧められたらしいが、さすがのダンナもその気力体力は残っていなかった。
重い荷物と、かなり軽くなった体と、ほぼ空っぽのアタマを飯山線に押し込み、第三レストポイントを後にしたのだった。

その頃、とんべりは息子から電話を受けていた。
「親父どうした?」
「いやー、頑張りましたが今回は終わったようですよ。夜には帰ってくるみたい。何か伝えたいことでも?」
「旅は九十九里をもって半ばとせよ・・・最後まで気を抜くなと伝えてくれ。」
「はいはい、ラジャー」
ところが、このムスコのじーさんめいた警句が本当のことになってしまったのである。とほほ。
レースが終わった津南からは、飯山線で十日町駅まで出て、そこからホクホク線とかいう電車に乗って新幹線の通る越後湯沢駅まで出なくてはならない。
ちょっと面倒くさい場所にあるのだ。
ダンナはとんべりが送ったタイムテーブル通りに新幹線の指定席券を買ったのであるが、オツムが空っぽすぎて十日町で乗換えをしなかったのである!
間が悪いことに、十日町駅で新幹線みたいな白い特急(『雷鳥』だった)をちらりと見てしまい、すっかりここで新幹線に乗れると勘違いし、時間が来るまでぼーっとしていたんだそうである。
あああ〜、やっぱり迎えに行けばよかったーー
幸い、次の新幹線の席を取ることができたのだが、こんな脳細胞スカスカ状態では、東京駅から自宅至近の駅までだってなにが起こるかわからない。
デトックスしすぎだ。脳細胞まで排出してどうする?
「迎えに行くから東京駅から動くな!」とメールを送りつけて、とんべりは電車に飛び乗った。
東京駅の一番端の地下4階だか3階だかから、一番端の新幹線乗り場までダッシュ。
ケータイでどこの新幹線改札口にいるか聞いてみても、ダンナは「え、大きい改札だよ?」としか言わない。
ばかもん、東京駅には大きい改札しかないではないか!
やっと改札の名を聞きだして向かってみると、真っ黒に焼け焦げて、すっかり痩せて、いつもはぎょろっと黒い目がなんか灰色になってるダンナが幽霊みたいに立っていた。
ぎゃーー、義母に見せたら折檻されるーー!(滝汗
ダンナの弱った手から荷物を奪い取り、東京駅を端から端までまた歩く。
帰りの電車はグリーン席を奮発して、ダンナを席に押し込み、やっと人心地ついた。やれやれ。
「いやあ、それにしても理想体重になれて良かったねーこれで来年のレースはばっちりだ!」
「え、もう来年のこと・・・?」
「我が弱小ブログを読んでくださってる方もいることだし、ネタを提供してもらいませんと。めざせ完走♪♪」
まったく、オニ嫁ですな(笑

IMGP3479.jpg
↑すっかり弱ってます。
おかゆとか食べてるしな(笑



レースから約1ヶ月。
だいぶ元気を取り戻したダンナは、灰色だった目もすっかりぎょろっと黒く戻って、今では、走れなかった津南から新潟までのコースを走りに行ってみたいと話している。
早くも来年へ向けての一歩だ。
あの時も行けそうな気がしていた、来年こそは行ける気がすると、意欲満々である。

今回もいろいろな物語があった。
日韓対決は、前回チャンピオンが3位、韓国チャンピオンが4位と、日本の勝利で終わった。
1位になったのは、過去2大回リタイアしていたベテランの選手。
昨年、チャンピオンと最後までドラマチックな優勝争いを演じた選手は小諸の前でリタイアしている。
師匠は他人の靴できっちり完走したうえ、『川の道』に開眼したという。
最高齢ランナーさんは、深雪会館の先で惜しくもリタイアとなった。
ひとりにひとつの物語がある。
こんな選手もいた。
ダンナが三国峠でご一緒したランナーさんは、かつてクライミングを趣味としていたのだが、事故で歩けなくなってしまったのだそうである。
病院で寝たきりになっていたのだが、ある時、なんだか歩けるような気がしたので立ってみたら、立ててしまったんだそうだ。
それからはこっそり夜中に歩く練習をしていたのだが、ある夜、看護婦さんに見つかって夜中の練習は終わりを告げた。
退院してからは、リハビリのためにハセツネを走っていたそうで、ハセツネ完走10回でもらえるアドベンチャーグリーン(永久ゼッケンですね)の持ち主なんだとか。
『川の道』の話を聞いて、良さそうだと思って参加したということである。いやはや。。。
普通、そんな大怪我をしたら、もっと体を労りそうなものである。
同じリハビリするにしたって、せっかく治った体を再度壊しそうなことをわざわざしなくても・・・と言う人もいるんじゃないだろうか。
そういう無謀なことができてしまう特殊な人なんだと言ってしまえば、まさしくそうなのだろうが、とんべりは『特殊』とか『すごい』の一言で片付けてしまうのは残念だなと思う。
レースだとか、競技だとか聞くと、『選ばれた人のもの』という意識を持つ人が少なくないが、とんべりは『選ばれた人たち』ではなく『選んだ人たち』のものだと思っている。
そこに自分の夢や可能性を見出してこだわっていく人たちのもの、そういう人たちが自分の物語を作っていく場所なのだと思う。
ランナーだけではない。
レースを作るすべての人たちの物語をつむぐ『川の道』
川が流れ続けるように、川の道の物語もまた、留まることを知らず流れ続け、やがてまた、新しい物語を作っていくのであろう。

うーん、いいこと言ったな!
いやあ、長文だった!レースが長いんでしょうがないけど、こっちもあやうくギブするとこだった。
来年はもっと長くなってくれることを期待してますよ、ダンナ。
何とかかんとか締めくくったところで、それじゃ皆様、また来年がんばってください〜〜♪
posted by とんべり at 19:24| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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