2011年06月19日

四十九日

今週は、本当にシビアだった。
ダンナが死んで以来、シビアじゃない日なんてないのだが、それでも半端なくきつかった。

裁判の準備が山場をむかえ、弁護士さんとは2回面会し、熊谷に検事調書を作りにも行った。
検事調書では、ダンナの生前の姿を写真も使って紹介することにしており、そのための原稿を書いたり、昔のアルバムを引っ張り出して片っ端から写真を見たり、友人から思い出話しや写真を寄せてもらったり・・・
多くの人が、エピソードや写真を寄せてくださった。
そのほとんどは調書に盛り込めなかったが、ダンナの父母が聞いたら喜ぶ話しがたくさんあった。
プリントして送ってあげようと思う。
だが、作業は辛いことの連続である。
楽しかった頃のことを思い、何でこんなことになったんだと思い、家族3人幸せだった頃の写真を強いて見ながらキーボードをたたく。
その傍ら、パラ企のリタさんと署名活動の話を詰める。
弁護士さんに署名集めの法的注意点を何度も問い合わせ、慎重に事を運ぶ。
署名してくれた人に迷惑がかかってはいけない。
せっかく署名してもらったのに、むだにするような事になってはいけない。

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全部、好き好んで自分でやっていることである。
しかも、私が参加制度を使ったり、署名活動をすることで、かなりの人を巻き込んでしまっている。
その結果、何かが劇的に変わるのかというと、世の中そう甘くはないだろう。
支援してくださる方への感謝の気持ち。
申し訳ないという気持ち。
自分はわがままだという気持ち。
それでも、やらずにはいられない。
何も抗議しなければ、被害者はそれで納得しているのだと片付けられてしまう。
加害者はあんなに飲んでハンドルを握っていたのに。
ダンナは反射板や点滅灯をたくさん付けて左端ぎりぎりを走っていたのに。
車は左のガードレールにぶつかってブレーキも踏まずダンナをはねたのに。
なのに、わざと轢こうとして酒を飲んだわけじゃないから『過失』?
『飲んだらハンドルを握るな』なんて、ただのタテマエだ。
飲酒運転が減らないわけである。
事故も減らないわけである。
飲酒交通事故天国=ニッポン。

何かやらずにはいられない。
自分の手でダンナの骨を拾わねば気がすまない。

だが、事なかれ主義で被害妄想の父は署名活動に大反対だ。
弁護士さんにちゃんと相談しているから大丈夫だと言っているのに、「これだけ言ってもやるというなら、とんでもないことが起こってから後悔すればいいんだ!自己責任でやれ!!」と怒鳴られた。
もとより、何も頼んでないし、自己責任なのは当たり前である。
そこまであんたに言われる筋合いはない。
ダンナの両親は「息子のためにやってやることができた」と署名活動を歓迎して、張り切って集めてくれているそうだ。
よかった・・・
どうも父は、私がダンナのために一生懸命になることにやきもちを焼いている節がある。
今週はあまりにきつかったのでカウンセリングに行ったのだが、カウンセラーさんは「ご主人が亡くなったことで、あなたが娘に戻って帰ってきたような気になってるんじゃないですか?」と言っていた。
迷惑千万。

欝の薬も今週から倍にした。
よくあることらしいが、量を増やした直後はかえってだるさや不安感におそわれるらしい。
月曜日と火曜日は、午後になるとなんとも言えない気持ちになり、背中がむずむずするような、高いビルの端っこでつま先立ちしているような、理由のない不安と苛立ちに悩まされた。

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そして木曜日、検察に行った。
最初はいやなやつだと思った検事だが、弁護士を立てたせいなのか、こちらの熱意が伝わったのか、ベルトコンベアーに乗っけてさっさと片付けようとしていたダンナの案件に、ちゃんと取り組んでくれる気になったようである。
私が用意したエピソードの原稿はそこそこ長い。
写真も弁護士さんと11枚選んだのだが、弁護士さんは「内容も写真も検事にざっくり削られるだろう」と言っていた。
それが、いざ調書が取られてみると、私の原稿がほぼ全文調書に取り込まれた上、検事が私たち夫婦や家族の姿を「こうだったに違いない」とイメージを膨らませた部分も盛り込まれていた。
写真も全部採用された。
驚いて「もっと短くされると思っていましたが」と言うと、「どこも削ることができませんでした」と言っていた。
検事が人払いをしたがったので、調書を作成した時は私ひとりだった。
弁護士さんは熊谷まで行ったのに待合室で待ちぼうけだったのだが、いきさつを聞くと「うーん、どうしてだろう?」と首をかしげていた。
何かまずいことでもあるのだろうか?
医者や弁護士が首をかしげると、すごく怖い感じがする・・・

弁護士さんと別れ、叔父叔母とランチをとっていると、叔母がぽろりと「裁判が終わったからって、これから先がながいんだから、ずーっと大変よー」と言った。
その途端、ダンナのいないこれからの長い長い生活が、ずしんと音を立てて目の前に落っこちてきたようで、目の前が真っ暗になり、手足が痺れて、動悸がひどくなった。
いたたまれなくなり、叔父叔母をその場に残して逃げるように帰ってきてしまった。
その足で仕事に行き、何とかこなしたのだが、薬を飲んだのに一向に気分が良くならない。
締め上げるような孤独感が増す一方で、「だれか!誰でもいいから助けて!ダーリン、助けて!」と心の中で悲鳴をあげ続ける。
たまらず友人にメールするとすぐに返事が帰ってきた。
慰めの言葉を読んでいるうち、刃のような孤独感は徐々に薄らぎ、少しずつ地面を踏んでいる足の感覚が蘇ってくる。
さらに息子の顔を見たら、だいぶ落ち着くことができた。
息子はいつだって私のカンフル剤である。
孤独ではない。
淋しいが、決してひとりではないのだから。

翌日は、花をたくさん買いこんできた。
今週は忙しくて、まめに水も替えられなかったし、暑くなってきているので、花がすっかり痛んでしまった。
頂き物のジャーマンアイリスの次には、ブルーとイエローを基調にした花を飾っていたのだが、今回は南の島らしい強い色彩を選んでみた。

花を飾った後、しばらく黙って遺影を抱いていた。

IMGP4996.jpg

夜、ダンナの友人からメールが来た。
轢かれた時ダンナが落としてしまったケータイを、現場まで探しに行ってくれた人だ。
死んだことが信じられず、ダンナのケータイに何度も電話を入れていた人だ。

「今日は四十九日ですね。(友人葬だったので)仏教の決まりごとにはこだわらないと思いますが、今日は六道のどれかに生まれ変わるだいじな日なんだそうです。輪廻転生があるなら、またお互い人間に生まれて、酒をくみかわしたい・・・」

すっかり忘れていた。
四十九日が近いことは意識していたが、親族はなにかというと「法要が・納骨が・お返しが」と決まりごとのことばかり口にする。(私が裁判一直線なので、苦言を呈したくもなるのだろう)
そこへ持ってきて、加害者側の保険屋が四十九日すぎると接触してくるという話を聞いて、「四十九日ってなんなんだよ!」と怒りを募らせていたのである。
ほんわか温かい気分になってメールの返事を書いた。
「前世でも夫婦だったと確信してるし、来世も一緒になると思います。きっと私のことを待っていてくれるでしょう。」
だが、四十九日はこちらからあちらに渡ってしまう日でもある。
まだ行ってしまってはいけない。
ずっとここにいてほしい。
せめて裁判が終わるまでは・・・
心細くなって、たんすの引き出しを開け、ダンナのシャツを引っ張り出した。
ダンナの匂いがした。
靴を引っ張り出した。
死んだとき身につけていたランニングウエアを引っ張り出してきた。
遺影に写っているオレンジのシャツ。
車に轢かれて裂けたシャツ。
こんなものだけ残して、行ってしまってはいやだ。

翌日、友人から花が届いた。
すばらしい香りのするピンクの愛らしいバラ・・・
手紙が添えてあった。

「アルさんへ
とんべりさんと息子さんには私たちがついてるから安心してね。」

私へではなく、ダンナへの手紙がすごく嬉しかった。

四十九日は、こうやって過ぎていった。

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posted by とんべり at 15:18| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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