2012年07月26日

夏バテ 夏バテ

とにかく調子が出ない。。。
単に夏バテなのか、減薬しているせいなのか・・・
テレビは見ないようにしていたのだが、ランチに入った店でニュースを目にしてしまい、18歳の無免許運転したガキが3人もひき殺して、「無免許でも一定の運転技量がある」ため危険運転致死傷罪が適用されなかったことを知って目の前が真っ白になるほど絶望と怒りを感じたせいか・・・
京都地検はすごい。
無免許でも一定の運転技量があれば酌量されるという結論を出したのだから画期的というほかない。
腕に自信のあるものは、お金を払って免許を取る必要はない。
それで最終的に人を何人ひき殺そうと、事故直前に一定時間運転できてれば別に構わないと京都地検が言っている(笑)
日本が安全な「法治国家」だというのは幻想だ。
ただ単におとなしい人間が比較的多いというだけのことだ。
真面目に学校に通って勉学にいそしんでも、真面目に働いて税金をきちんと納めても、クズに虫けらのように殺された結果、公的組織や法は何をしてくれるのか。
クズを守り、事件を「残念な事故」と片づけ、なるべくなかったかのようにふるまうことにばかり腐心する。
心療内科の医者に日本の法は狂っていると言ったところ、それでも法は守らないと・・・などと言っていたのだが(まあ、そう言うでしょう)、私は本来の目的を見失った法や機能不全の法など守る意味はないと考えるようになった。
法は、それを守りより良い社会を作ろうと努力する人に奉仕するためにあるべきものだ。
法を法たらしめるために人が押しつぶされるべきものではない。
私は各自が自分で納得した法だけ守ることにしてみたらどういうことになるだろうかと考える。
無法地帯になると恐怖する人は大勢いると思うが、よく考えてみたら今だって無法と一緒だ。
無免許運転オーケー、飲酒運転オーケー、学校のいじめオーケー。
あるのは個人のモラルだけ。
一体どこが違う(笑)
自分の身に運よく何も降りかからなかった人だけが、日本は法的に守られた国だと思っているだけである。

さて、というわけで調子がイマイチなのだが。
でも、2か月前に処方された抗鬱剤のリメロンが合わず(エクソシストみたいなけいれんを起こしたり、午前中体が動かなくて苦しんでいた)、たまりかねて医者に無断ですっぱりやめてからはずいぶん軽くなった。
まだ抗鬱剤も睡眠導入剤も飲んでいるが、薬漬けから脱却しつつあると思うとうれしい。
ただ、午後になるとスタミナ切れなのか脳の疲れがひどい。
特に暑さはこたえる。
で、やたら植物を、それもツルバラ、クレマチス、木と言った日影を提供してくれそうな丈のあるものばかり買ってしまう。
ウォーター・ガーデン・クーラーなる散水器も購入。
サンパラソルでグリーンカーテンも作ろうとしている。
バルコニーが乱雑になりつつある・・・
posted by とんべり at 15:37| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の光景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月02日

コンペティション @

この3月にタヒチアンダンスのコンペティションがハワイであり参加してきた。

どうしようか悩みはした。
特別練習が週に3日、12月〜3月まである。
ちょうど高裁と重なっている上、マンションの改修工事も始まる。
だが出たい。
こんな機会はめったにない。
ハラウが参加するのも実に7年ぶりということだし、『次の機会』が自分にあるとは思えない。
それに、裁判とだけ向き合って暮らすことを考えただけで息がつまりそうだ。
やろう。
やってできないことはない。
できないと自分に言い訳したとき、できなくなるのだ。

練習は予想以上に大変だった。
極寒の体育館でぶっ続けに2〜3時間、Tシャツの上にブラを装着した上にダウンを羽織って、レギンスにロングレッグウォーマーを重ねて、首にはマフラーというありえない格好で必死にミノを振る。
私より一回りも二回りも若い子たちが次々体調を崩す。
さらにきつかったのは、人数が少なかったことだ。
昨年のイベントでオテア・オーバーオールを初めて踊ったときは、40人近くいる先生、インストラクター、上級生の後ろでイイを振り回していればよかったのだが、今回はふたを開けてみたら先生インストラクター合わせて3人、上級生もベテラン中級生もごっそり不参加、総勢たったの17人・・・
うまい人の影で気楽にやろうなどという甘い目論見はもろくも崩れさった。

衣装にも手がかかった。
前回はブラに布をつけただけで(それすらリフォーム屋さんに外注した)あとは全部借り物だったのだが、今回は全部自前である。
自分で作ったわけではないが、ヘッドドレスやヒップベルトの貝や羽根の補強、羽根の増量、タッセルの付け替え、早着替えに間に合わないのでパレオをゴム入りスカートに作り替え。
その他にミノ裂きというしんどい作業があった。
ミノは最初、グラディエーターの胴鎧の下の板みたいな感じで、1本1本がけっこうぶっとい。
これを幅3ミリくらいに細く裂くのである。
細ければ細いほど美しくミノが揺れる。
それを知らなかった私は、届いたばかりのミノをまいてファラプーをしてみたのだが、カチカチでピクリともしないので凍り付いてしまった(笑)
ブラの布付けも自力でこなした。
なにせ、月曜に布を渡されて土曜までに作ってこいとか、週末に羽根を渡されて週明けまでに増量してこいとか、そんなことばっかりである。
外注に出す時間の余裕がない。

この時期のことを思い出すと、いつもどでかい衣装バッグを担いで走り回り、夜なべして衣装直しをしていた気がする。
そして、いつも怒鳴られていた気もする。
タッセルのつけ方が甘くてファラプーしたらぶっ飛んでしまい、先生から「衣装落としたら減点よ!あんた、今ので何点落としたと思ってんの!!」と容赦なく罵声が飛ぶ。
ヘッドドレスの汗取りに額に挟んだタオルが後ろから丸見えで、先生から罵声が飛ぶ。
ヒップベルトの羽根や貝を落として罵声が飛ぶ。
フォーメーションがおかしい!と怒鳴られる。
ミノが回ってない!
イイの動きが変!
歌が歌えてない!
タイミングがずれる!
と罵声が飛ぶ。
〇十〇年生きてきて、これほど人から怒鳴られたことはないと思う。

なのに、である。
ソロにまで出場することにしてしまった。
発端は、アパリマを下されたことから始まる。
土曜が仕事でアパリマの練習時間にどうしても間に合わず、結局、先生に「練習に出られない者は出場しなくてよろしい」と言い渡された。
まあ、当然のことだ。
だが、とても悔しかった。
ちょうどその頃、勉強になるからソロに出たい人は誰でも出てよいという話が先生からあった。
日本人的には、「誰でも」と言われても「誰でも上手な人」のことだよね、と思うところだが、それなら一丁やってやろうと思うところが私の私らしいところだ。
前からソロには興味があった。
初級のころ、「オテアのソロは即興で踊る。いい経験だからチャンスがあったらぜひやってみるといい」という話を先生から聞いた。
そんなチャンスは自分には来ないと思っていたのに、目の前に転がっているのである。
手を伸ばしてつかめばいい!
もちろん、先生に「気は確かか?」と一蹴されればそれまでだが、自分で手を伸ばさなければ、そもそもつかむことはできない。
アパリマを下されなかったらソロに出ようなどとは考えなかったと思う。
だが、練習に出られませんでした→下されました→はいそうですか、と引き下がるわけにはいかない。
死んだ人間はやりたいことがあっても、もう二度と何もできない。
生きている人間はやれることを最大限にやろうとする努力をすべきだ。
まだ何かできることがあるなら、それから逃げてはだめだ。
もちろん、私とて気は引けた。
こんなおばちゃんで、踊りもヘタレで、経験もなくて、何がソロだという気がものすごくしたが、自分からチャンスを放棄することは逃げだ、生きることをおろそかにすることだと思い・・・
必死の思いで「ソロに出たい」と先生に切り出した。
うれしいことに快諾していただいた(が、かなり驚いていたと思う・・・)

だが、困ったことに申し込みには年齢の申請が必須である。
年齢によって参加枠が異なるので当然なのだが、実はハラウに入会するとき、年齢制限に引っかかるので5才もサバを読んでしまったのだ(汗)
嘘をつき通すか、カミングアウトするか・・・
実年齢と嘘年齢で参加枠が違ってくるので、ここは正直に白状してしまうことにした。
まさかパスポートを見せろと実行委員会に言われたりはしないと思ったが、嘘は気持ちよくない。
ああ、これでますますおばちゃんだと思われるなあ。。。

ということで、齢〇十〇にして、たくさんの「初めて」をひっさげハワイへ旅立つことになった。
posted by とんべり at 01:19| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | フラ&タヒチアンダンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月01日

Father's Day

降り注ぐ太陽と雨の恵みを受け植物がぐんぐん伸びるこの季節。
すかすかだったバルコニーも、俄然、混雑の様相を呈してきた。
古い葉、病んだ葉、傷んだ葉を取り除き、薬剤散布する。
光合成を促進する活力剤を散布し、堆肥を与える。
株の成長を見ながら摘蕾し、枝を整理する。
雑草を抜く。
出どまりの芽を摘む。
植物の世話をしていると、根から水を吸い上げ、空に向かってぐっと枝葉を伸ばし、蕾を膨らませていく、その生命活動を感じられるような気になる。

薄曇りの一日だった。
夕方、不思議なほど美しい一瞬が庭に訪れた。
桃色がかった淡い光がバルコニーを包む。

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空と植物と私しかいない世界。

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空が遠いような、すごく近いような、遠近感のなくなった世界。

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花が、葉が、枝が、くっきりと浮き上がる。

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アフリカスター
もっと青味の強いバラもあるが、端麗な面差しが素晴らしい。

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どの角度から見ても美しい。

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黒真珠
タヒチフェチなら一度は育ててみなくてはならないと思っていた。
夏なので赤みが強いが、ベルベットのしっかりした花弁で陽光にも焼けず花持ちもいい。
黒味が増す秋の花が楽しみだ。

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マダム・ピエール・ユーレ
古花らしい華やかさと豊かな香り。

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エウレカ
お気に入りの公園のイングリッシュガーデンコーナーで一目ぼれした。
まるで太陽が結実したかのような輝き。

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コルデスのミニバラで品種名はわからない。
しっかりした枝ぶり、大きめの花。
コルデスのミニバラらしい華やかさを持っている。

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ブッドレア”ブラック・ナイト”
名の通り素晴らしく深い紫色の花。

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エヴリン
イングリッシュローズはいつも笑っているように思える。

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ジュビリー・セレブレーション
甘く輝くような色の妙。
女王陛下を称える名をつけたオースチン氏の気持ちがよくわかる。

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アイ・アム・レディQ
昨年は咲かなかった。

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今年は鈴なりにかわいい花を咲かせている。

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風をはらんでふわり、ふわりと揺れている。
風のメロディーを奏でているようだ。

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ヒューケラ”クリーム・ブリュレ”
カラーリーフが好きだ。
花には持ちえない葉独特のクールな美しさ。

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スノー・シャワー
石鹸のような香りでバラとしては珍しいと思う。
つややかな小さい葉とクリーピングする枝、房咲きになる純白の花。
すべてのバランスが素晴らしい。
ミニバラの傑作だと思っている。

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エトワール・ヴァイオレット
空に何かを問いかけているようだ。

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アジサイ”スター・バースト”
八重咲きアナベル。
アナベルのようにまん丸くならず、花火が飛び散るような躍動感にあふれている。

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4年前、ダンナが「川の道」ハーフを完走したときゴールまで迎えに行った。
駅前の小洒落たガーデンカフェで買った西洋オダマキ。
今年は本当によく咲いている。

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クイーン・オブ・ホランド
爽やかな色とすっきりした花形が涼やかだ。

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プロスペリティ
トータルで素晴らしいバラ。
枝ぶりも葉も、クラシカルで香り豊かな花も、育てる者に喜びと満足を与えてくれる。

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エミリア・プラター
いつもたくさん咲いて初夏の庭を彩ってくれる。
今年は、ことのほか見事。

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スイート・シャリオット
ミニバラのしなやかさと可憐さを湛えている。
日影がよく似合う。

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エヴリンの蕾
小首をかしげてもの問いたげな表情。
うっすら開いたひとひらの花弁が開きかけた唇を思わせる。


陽も落ち部屋に入って灯りをつける。
アルが急に外廊下に向かって激しく吠え始めた。
お隣さんでも通ったのだろうと思ったがあまりにも執拗にほえるのでドアを開けて外を見せてやった。
誰もいない廊下を見て不審そうなアル。
ドアを閉めるとまたすぐ吠えだす。
もう一度、ドアの外を見せてやる。
誰もいない。
それでもドアを閉めるとまた吠えるので、面倒くさいから放っておいた。
直に疲れて眠ってしまった。
そこに飄々が帰ってきた。
「今日は父の日だったんですね」
ああ、そうだった。
ずっと世間の父の日フィーバーを辛い思いでしのいできたが、今日はそのことを全く思い出さなかった。
その時、「ああ、帰ってきたんだな」と思った。
自分が死んだことも気が付かないで野山でも走り回っていたのが、父の日くらい帰らないとまた私に怒られるとでも思ったのか。
いつもいつも走りに行ってしまって家にいない。
私との約束も忘れてレースに行ってしまう。
そんなやつとは二度と約束しない、どこにも一緒に行かない、私のダンスの発表会にも来るなと怒鳴りつけたことがある。
川の道の見送りにも行かないでおこうかと思っていた。
結局は見送りに行き、そこで私が撮った写真が遺影になった。
もし、私が行かなかったら・・・
何かが変わっていただろうか。

私は死後の存在を信じていない。
死んだらそれっきりだと思っている。
けれど、帰ってきたのだと思うと不思議と心が満たされた。
心の中にあの桃色がかった淡い世界が広がる。
自分が行こうとしているところがわかったような気がした。
気のせいでも、思い込みでも、なんでもかまわない。
今は、自分に少しだけ嘘をついてもいいだろう。
死んだあとのことなど、どうせ誰にもわからないのだから。

その夜は、いつもより身ぎれいにして髪にモノイをたっぷり塗って寝た。




posted by とんべり at 19:00| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ガーデニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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