2011年06月28日

ついに品川で

睡眠薬を飲んでも5時間くらいすると目が覚めてしまうようになった。
でも、お医者にそのことを言ったらもっと強い薬を出されるだろうし、なんだかそれってジャンキーみたいでいやなのである。
でも、一日中、生あくびをかみ殺してみたり、だるかったり、すっきりしない。
食いしん坊だったのに、すっかり食が細くなって、余分なお肉もだいぶ落ちた。
『未亡人鬱病ダイエット』なんて自虐ネタにしている。

少し休んで・・・
ゆっくりして・・・
皆さん、そう言ってくださるのだが、どうしてだか、次から次へとやることを見つけてしまうのである。
何もしていない時は何をしているかと言うと、ダンナの遺品や遺影を抱いて泣いている。
なんかもう、本当に不健康。。。

今日は気圧が下がったせいか、さらにだるさが増し、お昼も食べずにうつらうつらしてしまった。
起きた途端、「そうだ、北丹沢に行った時、タヒチ走遊会ののぼりがあったらいいんじゃないか?!」とまた余計なことを思いついてしまい、フォトショでせっせとデザイン作成。
さっそく注文した。
間に合うかどうか、非常に微妙である。
なにやってるんだかなー

で、だるーいままダンスレッスンに行ったのだが、案の定、途中で気分が悪くなってきた。
肉好きなので血は濃いのだが、ストレスで脳貧血や手足のしびれ、過呼吸を起こす。
いつもなら少し休むと復活するが、今日はなんともしがたいままレッスン終了。
「顔色が超悪い!」「先週よりぐっと痩せてない?」と皆さん心配してくださる。
まあ、ぷちデブだったので、痩せてちょうど良い感じではあるな。
フラフラしながら帰宅の途についた。
足の裏に地面を踏んでる感覚がない。
肩の上に頭が乗ってる感じがしない。
まずい。
駅の階段を上ったら、これが致命傷だったようだ。
ぐらっと来て、思い切り人にぶつかってしまった。
なんとか電車に乗り込んだが、立っているのが精一杯。
品川駅で降りた途端、壁際でしゃがみこんでしまった。
しばらく休んだ後、だいじょうぶかなーと立ち上がり階段を上ろうとしたら、世界がくるくる回ってホームの端っこへふらふら。
やばい、人身事故になると必死にホームの中ほどに足を進めるが、そこでがっくり四つんばいになってしまい、もう足がちっとも言うことを聞いてくれなくなってしまった。
なんだかどこか遠くの方で「だいじょうぶですか」「駅員さん呼んで」という声がする。
しばらくして気がつくと、スーツ姿のお嬢さんが横にしゃがんで心配そうに覗き込んでいた。
「今、駅員さんが来ますよ」と優しい声をかけてくれた。
しばらくすると、駅員さんが、なんと車椅子を持ってすっ飛んできたではないか!
きゃー、はずかしー(滝汗)

そういえば・・・
結婚式はダンナの実家長野でやったのだが、スケジュールがタイトで、新婚旅行の最中に脳貧血を起こしたことがあった。
このときも車椅子に乗せられてしまい、ダンナは「恥ずかしいヤツ!」とご機嫌斜め。
私は車椅子に乗ってるのに妙に元気で、はしゃいで写真なんか撮ってもらった記憶がある。

駅員さんのせっかくのご好意だったのだが、車椅子は丁重にお断りして、何とか自力で救護室までたどり着き、30分ほど横にならせてもらった。

で、家に帰ってきて何をしたかというと、まだ署名を頼めそうな友人知人に手紙を書いて、コンビニまでチャリをこいでメール便に乗せてきた。
つくづく懲りないヤツなのである。

でも、いつまで続けられるだろう?
posted by とんべり at 00:48| 千葉 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日々の光景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月23日

モーレア・マラソン

ダンナがこだわっていたレースがいくつかある。

富士登山競争 フルの部完走
川の道 永久ゼッケン2桁台獲得
サロマ湖100キロ 10回完走(サロマンブルー)
東京マラソン コスプレ・ラン
モーレア・マラソン

そのほかにも夢はあったようだし、完走したことのあるどの大会でも自己ベストを伸ばしたいと思っていたようだったが、特にこの五つはしょっちゅう口にしていた。
結局、どれも実現せずに終わってしまったが・・・

中でも、モーレア・マラソンは『タヒチ走遊会』を名乗るからには絶対走らねばならない大会だと思っていたようだ。
なので、ラン仲間のパラ企の方が招待選手として走ってこられたときは、もううらやましくてしょうがなかったようである。
その時は、たぶんダンナが発起人になって、新宿のノニカフェで祝賀会のようなものをしたのではなかったかと思う。

その参加されたランナーさんから、先日、お写真が届いた。
「奥様がモーレア・マラソンに参加されると聞きまして、雰囲気などお伝えできるかと・・・」というような内容のお手紙が添えてあった。

モーレアは国際空港のあるタヒチ島のすぐとなりにある島で、タヒチ島が東京だとしたら、モーレア島は神奈川、千葉、埼玉のような通勤圏だと思っていただければよいだろうか。
(ぜんぜん違うだろう!という声が、タヒチを知る人から聞こえてきそうだが)
頂いたアルバムを開くと、そこに写っているのは紛れもないタヒチ!
しばし、心を南の島に遊ばせる・・・
が、ここでハタと現実に帰った。

つい勢いで、というか、ダンナの遣り残したレースのほとんどは私には後を継ぐことができないものばかりなのだが、マラソンだったらなんとかなるんじゃないかと思ったのである。
で、葬儀の席上で「タヒチ走遊会を背負ってモーレア走ります」と言ってしまったわけなのだが。
皆さん、聞いてたし、覚えてたんですね。

ダンスを始める前は、毎日10キロほど走ってたこともあるのだが、相手は40キロ超。
出たことのあるレースなんて、フロストバイトと千葉マリンマラソン(どちらもショートの部)のみ。
えらいことを言ってしまったものだ。
先日、リタさんと社長さんが自宅に寄ってくださったのだが、その時、社長さんがランを始めて1年でフルに出たと言う話を聞いた。
でも、練習量が半端じゃない。
月間200キロ走っていたそうだ。
しかも社長はお若いお嬢さんである。
こっちは衰える一方のオバサン。
モーレアへの道のりは長いと言わざるを得ない。。。

が、女に二言はない!
口にした以上は実行あるのみ。
なんとか走りきって、ダンナに黒蝶貝のメダルを持って帰ろう。

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↑Mさん、メダルのお写真載せさせていただきました
posted by とんべり at 00:00| 千葉 ☔| Comment(8) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月22日

北丹沢山岳耐久レース&OSJ志賀高原トレイルフェスティバル

7月3日に北丹沢12時間山岳耐久レースとOSJ志賀高原トレイルフェスティバルが開催されます。

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↑2008年 ダンナが出たときのレース

パラ企の方が飲酒運転撲滅キャンペーンを両会場でされるということで、私も北丹沢に行ってこようと思ってます。
昔、山ガールだったワタクシ、丹沢(主に表尾根ですが)には、よくひとりでフラフラしに行ってました。
南の島好き&タヒチアンダンサー(笑)になってからは、すっかりごぶさたしてます。
久々の丹沢、懐かしいです♪

志賀高原は、よくスキーに行ってました。
滑りながら全山めぐりしたりして。楽しかった。
焼額〜横手は好きなゲレンデだったなあ・・・
頂上小屋の焼きたてパンがおいしかったんですよね。

レースに参加される方がいらしたら、何やってるのかなーときょろきょろしていただけたら嬉しいです。
posted by とんべり at 10:41| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月21日

わんこ

家がだだっぴろい。
小さいマンションなのに、息子とふたりだと持て余すくらい広く感じる。
あまりに淋しくて、「そうだ、犬でも飼ったらどうだろう!」と思った。
小型犬まではOKのマンションなので、犬種さえ選べば問題ない。
アニマル・セラピーというものもあるくらいだし、欝にもいいかもしれない。

最初は、保健所でもらってこようかと思ったのだが、予想より大きく成長したら飼いきれない。
やはり純潔じゃないとまずいだろう。
ふっと思いついたのは、柴とビーグルである。
どちらも、短毛な所、小さいわりに骨が太くて筋肉質であるところ、活発であるところなどがダンナに似ている。
ネットでつらつら調べてみると、柴は結構でかくなりそうだ。(でも、1階で飼ってる人がいるのだがね)
ビーグルの写真を見ると、まん丸な目とか、眼の上のシワとか、聞かん気そうな鼻っ柱がダンナにそっくり。
さらに性格が、活発、人なつっこい、頑固、しつけが難しい、と、読めば読むほどダンナそのものである。
息子にビーグルの写真を見せたら「似すぎていて気持ち悪い」と言われた。
もう、すっかりビーグルのとりこである。
裁判が終わって、ダンスの発表が終わったら、飼う気満々。
さっそくブリーダーの物色を始めた。

ブリーダー紹介のサイトに登録をしたら、さっそく返信メールが来た。
「8月以降のお渡しと言うことでしたら、今アップされている子犬が最適です」
ほうほう。
で、サイトの写真を見ると、かわいい子犬の写真があれこれ出ている。
実際に子犬を見たいので、あまり遠くない犬舎がいいなと探すと、埼玉にビーグル専門ブリーダーさんがいて、男の子のビーグルが生まれたところであった。
写真のわんこは鼻っ柱の強そうなハッキリした顔立ちで、もろ好み。
よし、いっちょ見に行ってみるかと見学の申し込みをする。
4日にちょうど熊谷に行くので、ついでに寄れればいいなと思ったのだ。
が、場所を聞くと熊谷からはあまり行きやすい場所ではないらしい。
よく聞いてみると・・・

東武池上線の小川町だという。

ダンナを寄居まで引き取りに行った時、通ったルートだ。
もう、一生乗りたくないと思った路線だ。
小川町からちょっと行けばすぐに寄居駅、そしてその先は事故現場の波久礼駅である。

やめようかと思った。
何もそこでだけしか犬を売ってないわけじゃなし。
せっかく、楽しくわんこと暮らす夢を描いているのに、そんな縁起の悪い場所に行くことはないと思った。
だが、なにかしらの因縁を感じる。
ダンナが亡くなったところの近くで生まれた子犬を見に行き、裁判の前にダンナが亡くなったところをもう一度訪れてみるのもいいかもしれない。
今度は花を持って・・・

何か新しいことをしようとしても、やはり思いは事故へ、事故へと戻ってしまう。
いつか、そうならなくなる日は来るのだろうか。
多分一生、忘れた振りをしていてもどこかで事故のことをずっと思いながら、これからも過ごしていくんだろうなと思う。

とにもかくにも、ダンナみたいなわんこに会いに行ってみよう。
もう、名前だって決まっているのだから。

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posted by とんべり at 20:23| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日々の光景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月20日

父の日

昨日、息子と買い物に行ったのだが、まずかった・・・
父の日だった。


息子が、裁判で着れるようなきちんと見える服を持っていないので、「まあ、スラックスの1本でも買いに行くか」と、近所の大きいショッピングモールに行った。
まずは、ABCマートで靴選び。
革靴を買った後に、スニーカーも買ってあげることにした。
あまりファッションに関心のない息子は、いつもワゴンに積んであるような安いスニーカーばかりはいている。
「たまにはブランド物でも買ったら」と言ったら、ちょっと嬉しそうにしていた。
こんなことで、少し気晴らしになってくれたらいいと思う。
しばらくして様子を見に行くと、試し履きして店内をうろうろしていた。
何を選んだのかと足元を見ると、白のレザーにグリーンの3本線。
ドキッとした。
アディダス・カントリーのグリーンは、昔、ダンナとおそろで買ったスニーカーである。
とても気に入っていて、良くふたりで一緒にはいて、おでかけした。
ボロボロになってとっくに捨てたのに、何も知らない息子がそれを選んでいるとは・・・
良く見たら、カントリーではなくホーペルという廉価品であったが、同じようなものを選ぶなんてね。
親子なんだなと思う。

靴のあとは、ユニクロに服選びに行った。
紺のチノパンを物色していると、息子がポツリと「今日、父の日なんだね」と言った。
はっとして辺りを見回すと、
『父の日』『お父さんの日』『お父さん ありがとう』『Father's Day』・・・
私たちをあざ笑うみたいなサインの数々。
息子の顔をじっと見て「それで、あなたはどうしたい?」と聞いた。
息子は「いや・・・もうお父さん、いないんだな」と言って顔を痙攣させた。

この子に父親を返してほしい。

小さい頃は、人と合わせるのがヘタで、神経質なところもあって、少々手を焼いたが、マジメでまっすぐな青年に育ってくれた。
ちょっと笑ってしまうくらいまっすぐな子で、さっきもチェケラッチョな靴屋のにーさんに靴を出してもらったら、両手で受け取ってお辞儀していた。
両親やジジババとも敬語で話すような子で、そういう雰囲気が気に入られるのか、年上の人に良く話しかけられる。
何の悪いこともせず、地道に人生を歩んできたのに、突然、父親を奪われてしまった。

その加害者の親から、『うちの子は優しくていい子なんです』と書かれた手紙が来た。
優しくていい子が、どうしてビールやサワーをジョッキ6杯も飲んで、さらに缶ビールも2缶飲んで車を運転した挙句、ブレーキも踏まずにガードレールごとうちのダンナを轢いたんだと思う。
うちの息子の目をまっすぐ見ながら『うちの子は優しくていい子なんです』と言ってみろ。

この子に父親を返してほしい。
「父がもういない」と言いながら顔を痙攣させるこの子に、父親を返せ。

父の日がこんなに悲しい日になるなんて。
周囲の家族連れが、あんなに笑顔なのに。
posted by とんべり at 15:53| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日々の光景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月19日

四十九日

今週は、本当にシビアだった。
ダンナが死んで以来、シビアじゃない日なんてないのだが、それでも半端なくきつかった。

裁判の準備が山場をむかえ、弁護士さんとは2回面会し、熊谷に検事調書を作りにも行った。
検事調書では、ダンナの生前の姿を写真も使って紹介することにしており、そのための原稿を書いたり、昔のアルバムを引っ張り出して片っ端から写真を見たり、友人から思い出話しや写真を寄せてもらったり・・・
多くの人が、エピソードや写真を寄せてくださった。
そのほとんどは調書に盛り込めなかったが、ダンナの父母が聞いたら喜ぶ話しがたくさんあった。
プリントして送ってあげようと思う。
だが、作業は辛いことの連続である。
楽しかった頃のことを思い、何でこんなことになったんだと思い、家族3人幸せだった頃の写真を強いて見ながらキーボードをたたく。
その傍ら、パラ企のリタさんと署名活動の話を詰める。
弁護士さんに署名集めの法的注意点を何度も問い合わせ、慎重に事を運ぶ。
署名してくれた人に迷惑がかかってはいけない。
せっかく署名してもらったのに、むだにするような事になってはいけない。

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全部、好き好んで自分でやっていることである。
しかも、私が参加制度を使ったり、署名活動をすることで、かなりの人を巻き込んでしまっている。
その結果、何かが劇的に変わるのかというと、世の中そう甘くはないだろう。
支援してくださる方への感謝の気持ち。
申し訳ないという気持ち。
自分はわがままだという気持ち。
それでも、やらずにはいられない。
何も抗議しなければ、被害者はそれで納得しているのだと片付けられてしまう。
加害者はあんなに飲んでハンドルを握っていたのに。
ダンナは反射板や点滅灯をたくさん付けて左端ぎりぎりを走っていたのに。
車は左のガードレールにぶつかってブレーキも踏まずダンナをはねたのに。
なのに、わざと轢こうとして酒を飲んだわけじゃないから『過失』?
『飲んだらハンドルを握るな』なんて、ただのタテマエだ。
飲酒運転が減らないわけである。
事故も減らないわけである。
飲酒交通事故天国=ニッポン。

何かやらずにはいられない。
自分の手でダンナの骨を拾わねば気がすまない。

だが、事なかれ主義で被害妄想の父は署名活動に大反対だ。
弁護士さんにちゃんと相談しているから大丈夫だと言っているのに、「これだけ言ってもやるというなら、とんでもないことが起こってから後悔すればいいんだ!自己責任でやれ!!」と怒鳴られた。
もとより、何も頼んでないし、自己責任なのは当たり前である。
そこまであんたに言われる筋合いはない。
ダンナの両親は「息子のためにやってやることができた」と署名活動を歓迎して、張り切って集めてくれているそうだ。
よかった・・・
どうも父は、私がダンナのために一生懸命になることにやきもちを焼いている節がある。
今週はあまりにきつかったのでカウンセリングに行ったのだが、カウンセラーさんは「ご主人が亡くなったことで、あなたが娘に戻って帰ってきたような気になってるんじゃないですか?」と言っていた。
迷惑千万。

欝の薬も今週から倍にした。
よくあることらしいが、量を増やした直後はかえってだるさや不安感におそわれるらしい。
月曜日と火曜日は、午後になるとなんとも言えない気持ちになり、背中がむずむずするような、高いビルの端っこでつま先立ちしているような、理由のない不安と苛立ちに悩まされた。

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そして木曜日、検察に行った。
最初はいやなやつだと思った検事だが、弁護士を立てたせいなのか、こちらの熱意が伝わったのか、ベルトコンベアーに乗っけてさっさと片付けようとしていたダンナの案件に、ちゃんと取り組んでくれる気になったようである。
私が用意したエピソードの原稿はそこそこ長い。
写真も弁護士さんと11枚選んだのだが、弁護士さんは「内容も写真も検事にざっくり削られるだろう」と言っていた。
それが、いざ調書が取られてみると、私の原稿がほぼ全文調書に取り込まれた上、検事が私たち夫婦や家族の姿を「こうだったに違いない」とイメージを膨らませた部分も盛り込まれていた。
写真も全部採用された。
驚いて「もっと短くされると思っていましたが」と言うと、「どこも削ることができませんでした」と言っていた。
検事が人払いをしたがったので、調書を作成した時は私ひとりだった。
弁護士さんは熊谷まで行ったのに待合室で待ちぼうけだったのだが、いきさつを聞くと「うーん、どうしてだろう?」と首をかしげていた。
何かまずいことでもあるのだろうか?
医者や弁護士が首をかしげると、すごく怖い感じがする・・・

弁護士さんと別れ、叔父叔母とランチをとっていると、叔母がぽろりと「裁判が終わったからって、これから先がながいんだから、ずーっと大変よー」と言った。
その途端、ダンナのいないこれからの長い長い生活が、ずしんと音を立てて目の前に落っこちてきたようで、目の前が真っ暗になり、手足が痺れて、動悸がひどくなった。
いたたまれなくなり、叔父叔母をその場に残して逃げるように帰ってきてしまった。
その足で仕事に行き、何とかこなしたのだが、薬を飲んだのに一向に気分が良くならない。
締め上げるような孤独感が増す一方で、「だれか!誰でもいいから助けて!ダーリン、助けて!」と心の中で悲鳴をあげ続ける。
たまらず友人にメールするとすぐに返事が帰ってきた。
慰めの言葉を読んでいるうち、刃のような孤独感は徐々に薄らぎ、少しずつ地面を踏んでいる足の感覚が蘇ってくる。
さらに息子の顔を見たら、だいぶ落ち着くことができた。
息子はいつだって私のカンフル剤である。
孤独ではない。
淋しいが、決してひとりではないのだから。

翌日は、花をたくさん買いこんできた。
今週は忙しくて、まめに水も替えられなかったし、暑くなってきているので、花がすっかり痛んでしまった。
頂き物のジャーマンアイリスの次には、ブルーとイエローを基調にした花を飾っていたのだが、今回は南の島らしい強い色彩を選んでみた。

花を飾った後、しばらく黙って遺影を抱いていた。

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夜、ダンナの友人からメールが来た。
轢かれた時ダンナが落としてしまったケータイを、現場まで探しに行ってくれた人だ。
死んだことが信じられず、ダンナのケータイに何度も電話を入れていた人だ。

「今日は四十九日ですね。(友人葬だったので)仏教の決まりごとにはこだわらないと思いますが、今日は六道のどれかに生まれ変わるだいじな日なんだそうです。輪廻転生があるなら、またお互い人間に生まれて、酒をくみかわしたい・・・」

すっかり忘れていた。
四十九日が近いことは意識していたが、親族はなにかというと「法要が・納骨が・お返しが」と決まりごとのことばかり口にする。(私が裁判一直線なので、苦言を呈したくもなるのだろう)
そこへ持ってきて、加害者側の保険屋が四十九日すぎると接触してくるという話を聞いて、「四十九日ってなんなんだよ!」と怒りを募らせていたのである。
ほんわか温かい気分になってメールの返事を書いた。
「前世でも夫婦だったと確信してるし、来世も一緒になると思います。きっと私のことを待っていてくれるでしょう。」
だが、四十九日はこちらからあちらに渡ってしまう日でもある。
まだ行ってしまってはいけない。
ずっとここにいてほしい。
せめて裁判が終わるまでは・・・
心細くなって、たんすの引き出しを開け、ダンナのシャツを引っ張り出した。
ダンナの匂いがした。
靴を引っ張り出した。
死んだとき身につけていたランニングウエアを引っ張り出してきた。
遺影に写っているオレンジのシャツ。
車に轢かれて裂けたシャツ。
こんなものだけ残して、行ってしまってはいやだ。

翌日、友人から花が届いた。
すばらしい香りのするピンクの愛らしいバラ・・・
手紙が添えてあった。

「アルさんへ
とんべりさんと息子さんには私たちがついてるから安心してね。」

私へではなく、ダンナへの手紙がすごく嬉しかった。

四十九日は、こうやって過ぎていった。

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posted by とんべり at 15:18| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月13日

夜、眠れない。
というか、疲れ果てて眠りはするのだが、最低限寝ると目が覚めてしまう。
葬儀の間は、ずっと2〜3時間睡眠だった。
これではいかんと、市販の睡眠導入剤をビールで流し込んでいたのだが(アルコールはいけないと分かっているが、多少飲まないではいられないので小缶1本)、それでも5時間くらいすると目が覚める。
一度、薬を飲み忘れたら、4時半に目が覚めた。
警察から電話がかかってきた時間だ・・・

こんなことを続けていたらよくない、早く病院に行ったほうがいいと思っていたが、忙しいし健康保険が切り替えられるので、なかなか行けない。
やっと夫の社会保険からぬける書類をもらい、国保に入った足で病院に行く。
もらった薬を調べてみたら、全部、欝の薬だった。

こんな状況なんだから、少々おかしくなってもしょうがないと思う。
楽になるのがダンナに申し訳なくて、泣きながら「薬を飲みたくない」と母に電話したら、「バカなことを言うな」と叱られた。
息子のためにもしっかりしなきゃいけない。
薬を飲むようになったらずいぶんマシになった。
あのままでいたら、遠からぬうちに社会生活はできなくなっていたろう。
仕事にも行くし、ダンスにも行っている。
裁判にまで出ようと言う意気込みである。
それでも、検察に行くとストレスでお腹が下ってしまい、先が思いやられるのだ。

薬を飲んでいても、時々、息をするのもしんどく、指1本動かすのも苦痛な時間が訪れる。
ただ、時間が経つのを我慢して待つ。
自分はだいじょうぶだと言い聞かせる。

交通事故死は人がひとり死ぬだけではない。
その家族も半殺しにするのだ。
posted by とんべり at 15:56| 千葉 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 日々の光景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月09日

晴れた暑い午後

雨の日は気分がダウンすると良く言うけれど、私の場合、晴れた暑い午後が辛い。
今日のような日は、ダンナの存在を強く感じる。
ランの練習から帰って、疲れた足を休ませながら、ベランダのお気に入りのバラのアーチの下に座り、缶ビール片手にくつろいでいるような感じがすごくするのだ。
私が買い物から戻るのを待っていて、「今晩のおかず、何?」と聞いてくる。

そんな気がして、そわそわと帰ってみるのだが、やっぱりベランダには誰もいなかった。
posted by とんべり at 15:45| 千葉 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 日々の光景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

被害者参加

あれやこれや・・・
経験したくないようなことばかりの毎日。
ぽつりぽつりとブログにこぼしているが、次から次へといろいろ起こる。

裁判における被害者の不在。
加害者側の意識の低さ。
法の不備。
なんだかんだ。

悩んだ末、被害者参加制度という、比較的新しい制度を使って自分も裁判に参加することに決めた。
心療内科の先生は「負担になって疲れるだけじゃないの?」と言っていた。
たしかに。
そんなことをしても、結果は何も変わらないかもしれない。
だが、そういう制度があることを知ったら、使わずにはいられない。
何もしなかったら、ダンナを見殺しにしたような気になるだろうから。
後に引けない気持ちを知ると先生は「結果が思った通りにならなかったとしても、やるだけやったんだから満足しないとな。」と言う。
正論。
それでも、自分のやり方が悪かったんじゃないか、とか、自分の力不足だったんじゃないか、とか、どうせ自分を責めるのは分かりきっている。
でも、やらないよりはマシだと思っている。

時々、何もかも放り出して、何もかも忘れて、遠いところ(まあ、タヒチとか)に行ってしまいたいと思う。
強い光線は、欝にもいいらしい。
日サロ依存症になってしまう人がいるくらいだ。
だが、何より放り出してしまいたいのは、自分自身。
ダンナの妻だと言うことを放り出せたら、拷問にかけられてるみたいな喪失感も、自ら背負い込んだ裁判の重圧も、きれいさっぱり。
そこら中に喪失感爆弾がごろごろ埋まってる地雷原を用心しいしい歩いているのに、しょっちゅう自爆しているような毎日とおさらばしたい。
それは本当だし、嘘だ。
ダンナを否定することは、自分を否定することだ。
自分を否定することは、ダンナを否定することに他ならない。

昔の写真を引っ張り出して見てみた(自爆)
ダンナの写真にも胸が詰まったが、私と息子を撮ってくれている写真に愛があふれていて、どれほど大事に思われていたかが痛いほど伝わってきた。

感謝の思いを、どうしたって伝えることができないのが、ただ辛い・・・

ラン仲間の楽松師匠が、『飲酒運転撲滅・追悼ラン』に行かれた。
たった一人の520キロである。
想像を絶する。
夫のナンバーも背負っていってくださった。
日本海に立つことができた。
空に星がひとつ、輝いていたそうだ。
師匠、ありがとうございます・・・

また、ラン仲間の方たちで『飲酒運転撲滅キャンペーン』を展開してくださるようである。
友人は、何か手伝えることはないかと言ってくれる。
ありがとうございます。


厳しいランのさなか、エイドに助けられながら一歩一歩前に進む。
きっとそんなだったろう夫の背中を見ながら、私もちょっとずつ前に進む。
posted by とんべり at 10:45| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | タヒチ走遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月02日

マリッジリング

去年は結婚20周年だった。

結婚した時、「形にこだわることはないよね」と結婚指輪を作らなかったのだが、去年あたりから「ハワイアンジュエリーのペアリングほしいな〜〜〜」とおねだりしていた。
ハワイ・オブ・ジュンコというすてきなサイトを見つけて、どこよりもハワイらしさが香るところがとても気に入っていた。
いつかこんなところで指輪を作りたいと思っていたのだ。
私もハワジュはいくつか持っているが、どれも大量生産された安物のシルバー製である。

するとダンナも「おお、いいねえ。ホヌとか波とか。」とまんざらではない感じ。
私が「今さらマリッジリングってわけじゃないし、シルバーでいいよね」と言ったら「どうせ作るならちゃんとした物作りましょうよ。プラチナとか」と言ってくれた。
7月7日が結婚記念日なので、その頃に一緒に見てみればいいかなと思っていたのである。

記念日を待たずしてダンナは逝ってしまった。

ダンナがいたときは全然気にならなかったのに、急に左の薬指がものすごく淋しい気分になった。
他人の結婚指輪がなぜか気になる。
シングルマザーじゃないし、離婚したわけじゃないし、私にはいい人がいるんだと言うことをわかってほしいという気持ちなのだろうか・・・
考えた末、シルバーのペアリングを作ることにした。
そのことを嬉々として母に話すと、「そんなシルバーなんかじゃなくて、ちゃんとした指輪を作りなさいよ」とお金を出してくれた。

母親と言うのは本当に無二のそんざいである。
私は、ほとんど人前で泣かない。
というか、泣けない。
泣いてくれる人を見るととても慰められるが、私の涙とは何かが違うのである。
一緒に泣くことができない。
なので、中には何で泣かないんだろうと思う人もいれば、まだ実感がないんだろうと思っている人もいるようである。
「これから淋しくなるでしょうね」と言う人がいるが、もう十分すぎるほど空虚感にさいなまれている。人に言わないだけである。
そんな私も、母の前ではどうしようもなく泣けるのである。
母は「会いたい!会いたい!帰ってきてほしい!!」と絶叫する私を受け止めてくれるのである。

母の優しさに甘えることにした。
とは言ってもプラチナは高いので、金で作ることにした。
ハワイ・オブ・ジュンコにメールを出した。
通販と言うのはとても便利だ。
もし店舗に私みたいなおばちゃんが、それもひとりでマリッジリングを作りに行ったら、まあ詮索されるだろうことは目に見えている。
通販なら詮索も好奇の目も気にしなくていい。
ついでに息子にもシルバーのリングを作ってあげることにした。
ダンナの指サイズが分からないので、代わりに息子の指を測っていたら、なにやら興味津々の様子。
「ほしい?」と聞いたら「わるくない」という。
最近の若い子はなぜ「うん」とか「いや」とか言わないんだ。。。

メールでは詳細を伏せて、いかにも新婚みたいな感じで見積もりをお願いした。
だが、サイズがいまひとつ自信がない。
自分自身そんなに指輪は好きではないので、ほとんど買ったことがない。
さらに不慣れな息子の自己申告サイズを信じていいものやら・・・
で、仕事先からHPをチェックすると、なんと場所が泉岳寺にある。五反田のすぐ近くだ!
ということで、アポも取らず、息子を呼び出して、急遽お店に突撃することにした。
考えるより行動の方が早いいつものパターンである(汗)
お店の前で電話を入れると「来てくれていい」とのこと。
マンションの5階に上がると、そこはハワイが濃厚に香るすてきなお部屋だった。
まずは息子の指輪を見てもらう。
すると、やはりサイズを大きく見積もりすぎていたようだ。
ちゃんと見てもらってよかった。

次に私の番であるが、結婚20周年であることを話した。
そこでちょっと迷った。
嘘をついたって別に問題ない。
こちらの思うものが出来上がるだろう。
だが、ジュンコさんの人柄を見ているうち、嘘で作ってはいけないような気がしてきたのだ。
本当のことを話して作ってもらったほうがいい・・・
なので、ダンナが轢かれて死んでしまったはなしをした。
ジュンコさんは泣きながら「いいものを作りましょうね」と言ってくれた。

息子の指輪には 

'A' ohe pau ka 'ike i ka halau ho'okahi(学問はひとつの学校で終わることはない)

というハワイ語の格言を入れてもらった。

私たちのメッセージはタヒチ語にした。

Mihi au ia 'oe    私からダンナへ

Ua here au ia 'oe  ダンナから私へ

指を通すことのなかったダンナの指輪は、鎖で首に下げようと思う。


マイレは真正な結びつき
プルメリアは生命
亀は身の守り
波は永遠の愛

指輪に刻まれたモチーフである。
posted by とんべり at 13:24| 千葉 ☔| Comment(6) | TrackBack(0) | 南の島 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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